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タルムード(樽屋三左右衛門の書)補遺⑧

当ブログ記事の無断転載は堅くお断りします。




人生とは神が与えたお伽話を生きることである 
                  
                   神(バタック)




歴史の真実とは(歴史そのものにあるのではなく)

人類は歴史から教訓を学ばないということにある

                       666の哲学の天才 




その船を漕いでゆけ

おまえの手で漕いでゆけ

おまえが消えて喜ぶ者に

おまえのオールをまかせるな

                   アンドレアス・テイール




事例 台湾空軍
首位幻象2000女飛官 蔣青樺 中華民國空軍:
First Female Mirage 2000 Fighter Pilot in Taiwan's Air Force
https://www.youtube.com/watch?v=aEihp_EllLQ

00:00~00:04 
蔣青樺 ユミルの民 双子のチータ 霊感が強い 実際に操縦している 好きな人を見ている

00:05~00:07 
蔣青樺のナリスマシ3号 バタック 八瀬童子 コスプレをしているだけ 序列を見ている 

00:41~00:57 
蔣青樺 ユミルの民 双子のチキ 知性が強い 広報を担当している   義務を見ている

00:58~01:06 
蔣青樺 双子のチータ

01:07~01:16 
蔣青樺 双子のチキ

01:29~01:37 
蔣青樺のナリスマシ3号

01:39~01:44 
蔣青樺 双子のチータ

01:45~01:57 
蔣青樺 双子のチキ

02:12~02:20 
蔣青樺 双子のチキ

02:28~02:40 
蔣青樺のナリスマシ5号 バタック 八瀬童子 コスプレ 使命を見ている

02:44~02:47 
蔣青樺のナリスマシ5号

02:50~02:54 
蔣青樺のナリスマシ7号 バタック 八瀬童子 コスプレ 使命を見ている

02:55~02:56 
蔣青樺のナリスマシ9号 バタック 八瀬童子 コスプレ 序列を見ている

02:57~03:11 
蔣青樺のナリスマシ12号 バタック 八瀬童子 コスプレ 権力を見ている

03:12~03:20 
蔣青樺 双子のチキ

03:21~03:59 
蔣青樺のナリスマシ12号 バタック 八瀬童子 コスプレ 権力を見ている
LIFE IS DRAMA(Tシャツ)は「人生とは神の与えたお伽噺を生きることである」という意味。

04:07~04:14 
蔣青樺のナリスマシ12号 コスプレ 台湾空軍の序列最高位 権力を見ている鬼
モデルのように入念に化粧を施した顔でオレンジ色の特別あつらえの航空服を着用し、
いつもは引っ詰めにしているロン毛を思い切り解き放ってそれを人工の風になびかせ、
背後から赤いライトを照らし細菌兵器(多剤耐性結核菌)によるククルカンを表現しています。

04:19~04:30 
蔣青樺 双子のチータ

04:41~04:44 
蔣青樺 双子のチータ

04:45~04:55 
蔣青樺のナリスマシ12号 
顔にパフを叩き、口紅を塗り、耳飾りを着け、ハート型のミラーサングラスを掛け、
場違いで一種異様ともいえる格好を見せつけることで己れの権力を誇示しています。

04:57~05:09 
蔣青樺 双子のチータ

05:10~05:17 
蔣青樺 双子のチキ

05:18~05:21 
蔣青樺 双子のチータ

05:33~06:01 
蔣青樺のナリスマシ12号

06:10~06:14 
蔣青樺 双子のチキ

06:21~06:29 
蔣青樺 双子のチータ




事例 台湾の対中国秘密破壊工作部隊
バタックが公開を許した台湾有史では次のような事情が明らかになっている。
(序列やナリスマシを考慮しない表向きだけの有史という意味である)

① 縦の糸 朝鮮戦争勃発(純然たる八百長)の効用
日米戦争たけなわの1942年6月、
米国政府はCOIの後継組織としてOSSを創設する。
OSS初代長官にはウオール街の弁護士ウイリアム・ドノバンが就任。
巨大化学会社デユポンの顧問弁護士をしていたウイリアム・ドノバンは、
同じくデユポンの弁護士をしていたアレン・ダレスをOSSに誘う。
アレン・ダレスはスイスを拠点として秘密破壊工作の指揮を執る。
(日米戦争当時スイスで何が行われていたかを徹底的に掘り下げること)

やがてOSSの秘密破壊工作部隊をベースとしてOPCが創設される。
(当初の名前は特別計画局だったが政策調整局に変更されている)
このOPCの秘密破壊工作を指揮していたのもアレン・ダレスである。

OPCの対中国工作が水面下で進行中の1950年6月25日ついに朝鮮戦争が勃発する。
勃発3日前に渋谷松濤コンラッド・パケナム邸で催された夕食会の重要なメンツは次の通り。

序列3ジョン・フォスター・ダレス(米国大統領特使)
バタック 貴種 八瀬童子 女性 序列を見ている

序列1 渡辺武(元子爵 大蔵省)
バタック 貴種 八瀬童子 男性 権力を見ている

序列5 松平康正(宮内省式部官長)
バタック 貴種 八瀬童子 女性 使命を見ている

序列4 沢田廉三(元駐仏大使 外務省)
バタック 貴種 八瀬童子 女性 使命を見ている

序列2 海原治(国家地方警察本部企画課長)
バタック 貴種 八瀬童子 男性 権力を見ている

後にジョン・F・ダレスは米国国務長官に就任し沢田廉三は国連大使となり、
海原治の指導の下で国家警察予備隊は保安隊から自衛隊へと変質していく。

満を持して朝鮮戦争が勃発するやOPCは中国南部へと侵攻する作戦を立てる。
そして対中国工作の拠点を台湾に設置しラオスにいた国民党軍を再編成する。
さらに1955年対中国工作の拠点をフィリピンのスーピック湾に移動させる。

1958年台湾に逃れていた蒋介石が金門島から福建省に向けて砲撃開始。
当時米国との平和共存を推進していたソ連のフルシチョフはこれを黙認。
これがソ連と中国との間に亀裂が入る契機となる。

但し蒋介石は黄埔軍官学校創設の時期にバタックのナリスマシに入れ替わっているし、
周恩来は1922年仏蘭西の巴里でユミルの民からバタックのナリスマシに入れ替わっている。
鄧小平(バタック 貴種 八瀬童子 女性)を含む中共の仏蘭西留学生全員がバタックである。
ナリスマシが指揮した上海のテロと台湾の現地民殺戮には黄埔軍官学校のSSが使われている。
後半生を台湾に幽閉されたことになっている張学良がナリスマシに取って代わられたのは、
1931年9月18日に勃発した満州事変(同じ穴のバタックによるヤラセ)の前夜である。
不抵抗将軍の異名を取った張学良のナリスマシ、拉致監禁された蒋介石のナリスマシ、
仲裁役に選ばれた周恩来のナリスマシ、この3人が西安事件なる椿事を演じて見せたのであり、
西安事件、国共合作、日中戦争が予め用意されたシナリオであったことは念を押すまでもない。



② 横の糸 元ナチ&元ナチ協力者の暗躍
ちなみにハーケンクロイツは米の符牒で88夜すなわちバタックの起源を表わしている。

先ず1948年米国に於いてブラッドストーン作戦(NSC10/2)が開始される。
この作戦の一環としてOPC(秘密破壊工作を目的とした機関)が創設されている。
OPCは朝鮮戦争が勃発すると台湾で対中国工作のためにゲリラ戦の訓練を始める。
この作戦直後に欧州でも自由ヨーロッパ民族委員会なる秘密機関が組織されている。

1950年ロッジ法が制定され元ナチ&元ナチ協力者が自由に活動する隠れ蓑となる。
1954年国務長官ジョン・F・ダレスがベトナムに於けるゲリラ戦の準備を提案する。
それを受けてCIAがSMM(サイゴン軍事派遣団)を編成して秘密工作を開始する。

1955年米国のフォートブラッグに特殊部隊が編成される。
第10グループが西ドイツに派遣されて全員がグリーンベレー帽を被る。
フォートブラッグの基地に残ったグループには第77部隊と名付けられる。
第77部隊から第14特殊部隊作戦分遣隊が編成され沖縄へ送り出され、
日本のキャンプドレークに駐留していた第8251陸軍特殊部隊作戦分遣隊と合流、

1957年6月になると両分遣隊は第1特殊部隊グループを編成して沖縄に向かう。
同グループは台湾、タイ、ベトナム、ラオスに於いて手先となる現地人の訓練を始める。
台湾総督府痲薬漸禁策の当初より台湾は対中破壊工作拠点として機能していたのであり
日米戦争、朝鮮戦争、ベトナム戦争を織りなす縦の糸と横の糸は繋がっていたのである。


第2次大戦後、米国では暫時、敵のイメージとしてアカ(共産主義者)が利用されたが、
ベトナム戦争が終盤を迎えていた1972年にはそれがテロとの闘いという標語に替わった。
1967年からCIAは極秘国民監視作戦MHケイアスなるものを開始していたのであるが、
一般市民を堂々と監視しデータを収集する口実としてテロ対策を使い始めたこれが嚆矢である。
参考資料『テロ帝国アメリカは21世紀に耐えられない』




事例 六ヶ所村の再処理工場(純然たる詐欺)

① 序列最高位の村

47都道府県市町村の内訳
序列7 都


序列6 道


序列5 府


序列4 県
序列最高位の県 青森県 バタックのエデンの園 
序列2位の県  岐阜県 
序列3位の県  愛知県 


序列3 市
序列最高位の市 佐渡市 プルトニウムの戸
序列2位の市  むつ市 バタックの奥津城


序列2 町


序列1 村
序列最高位の村 六ヶ所村 バタックのエデンの東
序列2位の村  忍野村   バタックの秘密兵器工場所在地  
序列3位の村  白川村  バタックのエジプト文明の発祥地




②小出裕章氏の告発
13年前
高速増殖炉は永遠に実現しない絵に描いた餅である

小出裕章参考人の全身全霊をかけた凄まじい原発批判
https://www.youtube.com/watch?v=CEUxUdlJP0k


10年前
止められない止まらないカッパえびせん的な旨み

放射能のゴミ 六カ所村の再処理工場とは 小出裕章さん
https://www.youtube.com/watch?v=hIhsNfBMKjc&t=9s

今日も小出さんと電話がつながっています。小出さん、よろしくお願いします。


小出裕章
よろしくお願いします。


どうもー


小出裕章
はい。


えーと今日も、放射能のゴミシリーズ第2弾ということで、六カ所再処理工場についてお伺いしたいんですけれども。


小出裕章
はい。再処理工場という名前を聞くと、多くの方々が、原子力発電所が生み出してくるゴミを処理してくれる工場なのかと、思われるようなのですが、そうではありません。


ふーん。


小出裕章
再処理というのは、もともと原爆の原料を手に入れたいとして開発された技術でして、原子炉の中で燃えた燃料の中に含まれているプルトニウムという物質を取出すという、ひたすらそれを目的とした工場なのです。日本の場合は、原子力発電所からの使用済みの燃料を持ち込んで、その中に含まれているプルトニウムを分離するというためのものです。そのプルトニウムはもともと原爆の材料になる物質ですけれども、日本の政府はそれを原爆にするのではなくて、原子力発電所の燃料にまた使いたいのだと、表向きは説明しながら再処理工場というものを作ろうとしてきました。


なるほど。えーと再処理というのは、放射性廃棄物が出ると、これはもう原発事故以降有名になりましたけど、放射性廃棄物を処理するための施設というよりは、そこからプルトニウムを取出すことを再処理と呼び、それをやるための工場が六ヶ所村再処理工場なんだ、ということですね。


小出裕章
はい。


はあ。で、それはこれまで、実際どういう成果というか、どういう、こう役割機能、今まで果たしてきたんですか、そこは。


小出裕章
はい。日本という国は謂わば原子力に関しては後進国なわけで、再処理という技術もまったく持っていなかったのです。で、そのためこれまでは、イギリスとフランスにある再処理工場に、日本の原子力発電所で生み出された使用済み燃料を送って、そこで再処理してもらってきたのですけれども、どうしても日本としても原爆材料を取出す技術を身につけておきたい、ということでフランスに頼んで、1977年から東海村で小さな再処理工場を動かし始めたのです。その技術を使って、六カ所の再処理工場、まあかなり大規模なものなのですが、それを今度は日本の独自の力で作り上げたいという夢があったのですが、結局それもできない。ということになって、六カ所の再処理工場もまたフランスに頼んで作ってもらいました。


ふうん。


小出裕章
しかしそれではあまりにも格好が悪いというので、再処理をしたときに出てくる高レベルの放射性廃液というものがあるのですが、それをガラス状に固めようとする、その部分だけを、なんとか日本の技術だけでやろうとしたのです。


ふむ。


小出裕章
しかし、それがまったく上手く動きませんで、結局、現在は停止したまま、という状態になっています。


はあ。ということは工場はあるけれども、実際には、まあ何も出来ていないということですか。


小出裕章
はい。アクテイブ試験と私たちが呼んでいる、実際の使用済み燃料を使ってテストをしてみる、ということを始めたのですが、結局上手くいかないで頓挫してしまっているという状態です。


相当、お金もかかってるってことですよね。


小出裕章
そうです。当初は7000億円ぐらいで出来るだろうといわれていたのですけれども、設計変更設計変更で、すでに2兆数千億円のお金をかけてきたのですけれども・・


2兆数千億。



小出裕章
はい。


このお金は、また例によって電気料金に反映してるんですか。


小出裕章
はい、そうです。


はあ。


小出裕章
はい。電気料金から徴収するようになっています。まあ、つい一度再処理工場というものを動かしてしまいますと、それを潰すのにもまた大変なお金がかかってしまうということで、電力業界の有資産でも十数兆円のお金が、この、今後後始末のためにかかってしまうという試算になっています。


この六カ所再処理工場、後始末するのに?


小出裕章
そうです。


はあ。


小出裕章
そうです。それも全部電気料金にまた上乗せされてくることになります。


はああああ。そうですか。この六カ所再処理工場ってのは、そんな何ていうか、まあとっても危ないこと、危険性の高いことをやっているように聞こえるんですけど。


小出裕章
そうです。


周辺環境に問題はないんですか。


小出裕章
もう圧倒的な悪影響があります。再処理工場というのは膨大な放射性物質を取扱いますので、例えば海へ放出する場合の放射性物質というのは、私のところの原子炉実験所でもそうですし、原子力発電所でもそうですが、いわゆる濃度規制というのがあるのです。汚染した水を流すときには、1CC当たり何ベクレル以下の放射性物質しか流してはいけない、というやり方なのですが、再処理工場に関してはそんな規制は到底適応できないということで、濃度規制を再処理工場の場合は最初から外してしまいました。その代わりに排水管を沖合3キロまで引っ張っていって、海面下40数メートルのところから海に放出して、薄めて流すということになってしまっています。


通常の原子力発電所よりも危険なものを、日常的に出してる、ってことですよね。


小出裕章
そうです。1つの原子力発電所が1年間に放出する放射性物質を1日ごとに放出してしまうとい
う、そういう工場が再処理工場です。


1年分を1日。そーれで、この間、何十年もそれを続けてきていると。


小出裕章
ええ、日本は要するにできなかったわけですが。


ああ、そっか、そっか。はい、はい、はい。


小出裕章
米国でもロシアでも、イギリスフランスでもずーっと続けてきて、環境に汚染を広げてきてしまいました。


なるほど。そうすっと、今までに2兆数千億をかけ、これからやめるにしても十数兆円が必要で、動いたら動いたで環境に大変な負荷をかける。


小出裕章
そうです。


そういうもの、ということは、やめた方がいいですね。


小出裕章
もちろんです。こんなものをやるというのは、私は正気の沙汰とは思えないです。


はあ。なるほど。ありがとうございました。


小出裕章
はい。ありがとうございました。




③ 斑目春樹の本音
12年前
斑目春樹 バタック 貴種 八瀬童子 お金を見ている 正直者

大失言!【原発儲かる】原子力安全委員長 【最後は金】2005年班目
https://www.youtube.com/watch?v=zKwOxJuMhPs

斑目春樹
技術の方はですね、とにかく分かんないけれどもやってみようが、どうしてもあります。で、だめ、危ない、となったら、ちょっとでもその兆候があったら、そこで手を打とうと。おそるおそるですよ。


原子力もそうなんですね。


斑目春樹
原子力もそういうところ絶対あります。だって例えばですね、原子力発電所を設計した時には応力腐食割れ、SCCなんてものは知らなかったんです。だけど、あのまだいろんなそういうわかんないことがあるから、あのえーと安全率っていうかですね余裕をたーくさんもって、でその余裕に収まるだろうなーと思って始めてるわけですよ。そしたらSCCが出てきちゃった。で、チェックしてみたらまあこれはこのへんなんか収まって良かった良かった。今まで良かった良かったできてます。ただし良かったじゃないシナリオもあるでしょうねって言われると思うんですよ。その時は原子力発電所止まっちゃいますね。原子力発電に対して安心する日なんかきませんよ。せめて信頼して欲しいと思いますけど。安~心なんかできるわけないじゃないですか、あんな不気味なの。


核廃棄物の最終処分をすることに技術的な問題はなくても、そこを受け入れる場所が・・


斑目春樹
なければ今困っちゃいますもん。


ないですよね、フランスでも、イギリスでも・・


斑目春樹
うん、ないですよ。


それ、はは、大きな問題じゃないですか


斑目春樹
え、いや、だから、あのー、えーと、基本的にその何ていうのかな、今の路線で、今の路線がほんとに正しいかどうかは別として、今の路線かなんかで甲斐があるだろうと思ってるわけですよ。というのは最後の処分地の話は最後は結局お金でしょ。あの、どうしても、その、えーと、みんなが受け入れてくれないっていうんだったら、じゃおたくには、じゃあ今までこれこれっていってたけど2倍払いましょ。それでも手を挙げないんだったら5倍払いましょ。10倍払いましょ。どっかで国民が納得することがでてきますよ。


それは、経済的インセンティブと、その・・


斑目春樹
あの、処理費なんてたかが知れているから、たぶんその齟齬は来さないですね。


今、たしか最終処分地を受け入れてくれるボーリング調査させてくれるだけで・・


斑目春樹
すごいお金流してますね。


20億円ですよ。


斑目春樹
あれがたかが知れてるらしいですよ、あの世界は。


そうなんですか。


斑目春樹
原子力発電所ってものすごい儲かっているんでしょうね、きっとね。そりゃそうですよ、原子力発電所1日止めると1億どころじゃないわけですよね。だから、そういう意味からいくと今動いている原子力発電所をつぶす気なんてアメリカ毛頭ないし、日本も電力会社、あるものはできる限り使いたいというのがこれが本当本音ですよ。




④ 再処理工場建設という名の純然たる詐欺
10年前
311被災者のために使うべきお金を詐欺のためにバラ撒く

村民一人あたりの年収は1千3百万円以上
https://www.youtube.com/watch?v=6-1WJQnbLP4


9年前
高レベル放射性廃棄物の搬入開始のお芝居
 
黄色の法衣を着た男女 バタック 純血種 八瀬童子 命じられてお芝居をしている
https://www.youtube.com/watch?v=iQDEv_zdl9g


6年前
ためにする“ずさん管理”

六ケ所村の再処理施設 “ずさん管理”で審査中断(17/10/11)
https://www.youtube.com/watch?v=0UoIGQyjDk4


4年前
実体のない上乗せ

計画ないのに事業費だけ料金上乗せ?六ケ所村のツケ(19/03/28)
https://www.youtube.com/watch?v=sUpKQ-icT3c


3年前
風力発電をしている村

六ケ所村 「核燃料サイクル施設」の最新映像(2021年12月1日)
https://www.youtube.com/watch?v=dJAtW4Q0n_w


2年前
延期に次ぐ延期

六ケ所村「核サイクル施設」完成予定を26回目の延期(2022年12月26日)
https://www.youtube.com/watch?v=LAom8jtfLFI


2年前
お茶を濁すために新たな打ち上げ花火を上げる

六ヶ所研究所 新PR動画『NOW2021』
https://www.youtube.com/watch?v=qkGc5MoIVwE


8ヶ月前
そろそろ尻に火がつく

「通常ではあり得ない」着工から30年の日本原燃再処理工場 いまだ完成に至らず/青森・六ケ所村
https://www.youtube.com/watch?v=s00U_QBsTGo


5ヶ月前
別口の詐欺に着手

使用済み核燃料の「中間貯蔵施設」とは? 建設の調査計画について関電社長「あらゆる可能性求める」
https://www.youtube.com/watch?v=NrDAUMabKL8&t=37s




⑤ 見るだけ電験3種さんの卓見
2023/06/29
素人目に見ても99%核燃料サイクルが破綻している

https://www.youtube.com/watch?v=WTEl4dtjXew

今回は電気主任技術者試験でも出題される核燃料サイクルについて、調べてみたら核燃料サイクル既に破綻しているじゃんってことをテーマに話します。

電気主任技術者試験で出題されるので今までは「フーンそーなんだ」と思っていましたが、ちょっと詳しく調べてみたらネットで検索できるレベルで既に破綻していることがわかりました。

電気主任技術者試験で出題されるので今までは「フーンそーなんだ」と思っていましたが、ちょっと詳しく調べてみたらネットで検索できるレベルで既に破綻していることがわかりました。

まず、核燃料サイクルを簡単に説明すると

原子力発電で使い終わった使用済み燃料を再処理してプルトニウムやウランを取り出して再び核燃料として使うサイクルです。

再処理することのメリットは大きく3つあって

①再処理によって1~2割の資源の節約になる。
②再処理によって高レベル放射性廃棄物の量が1/4になる。
③再処理によって廃棄物の有害度低減期間が10万年から8千年に減少する。

メリットは理解できるのですが 個人的には、核燃料を扱うリスクと再処理にかかるコストをペイするほど大きなメリットなのかな?と思ってしまいます。 まぁでもこれは個人によって感覚は違うのでなんとも言えません。

「核燃料サイクル」でネット検索すると上から順に経済産業省から始まり、日本原子力文化財団、日本原子力研究開発機構、電気事業連合会といった組織のサイトがヒットします。

このことから、「核燃料サイクル」が国の基本政策であるということが伝わってきます。

しかし次に挙げる事から既に「核燃料サイクル」が終わってることがわかると思います。

そもそも日本で再処理していない

電気主任技術者試験やさっき挙げた上位にヒットするサイトでは普通に「核燃料サイクル」運用していますよといった雰囲気なんですが、実際は国内で再処理はしておらず、フランスに製造委託している状況です。
核燃料サイクルにおいて最重要部分を外国に委託しているのです。 それでも、国内では青森県六ケ所村で再処理工場を現在建設中です。 しかしこの六ケ所村の再処理工場が今回のテーマの最大の闇でした。

再処理工場が全然完成しない
六ケ所村の再処理工場は1993年から建設が始まってなんと2023年時点でいまだに操業していません。
当初は1997年に完成する予定でしたが、現時点で26回延期しています。
なんと建設開始から30年経過していまだに完成していません。
僕は陰謀論とか信じるタイプではないのですが、さすがに30年間完成しない施設を稼働させる気があるとは思えません。
現在までに10兆円以上かけてきた「核燃料サイクル」を今更できませんでしたと言えず、どうしようもない状況に追い込まれているとしか思えません。

じゃあ世界では再処理工場どーなのかなと思って調べてみたら・・・

日本原燃とか経済産業省は世界ではこれだけの再処理工場があります。と資料を用いて解説していて、
あたかも核燃料サイクルというのは世界スタンダードなのですという雰囲気を出しています。 しかし英語版のwikiで検索すると、事実として原子力発電先進国のフランスでは1990年を最後に再処理工場の新規建設はない。さらに世界で一番最近に操業したのがインドで2011年、つまり10年以上新規再処理工場が建設されていないということがわかります。
さらにさらにドイツ、イギリス、アメリカでは既に全ての再処理工場が操業停止となっています。
いやもうコレ核燃料サイクルというシステムは運用できませんという確たる証拠ですよね?

因みに六ヶ所村の再処理工場の操業開始予定は現在のところ2024年6月ですが、2020年12月から審査の段階に入っています。審査だけで4年もかかるのでしょうか?しかもその審査も難航していて操業開始予定期日も厳しいかもとニュースになっています。
ということで、「核燃料サイクル」って終わってんじゃんという話でした。

おまけ 放射性廃棄物の埋め立て最終処分場について
現在は使用済み核燃料は青森県六ケ所村の高レベル放射性廃棄物貯蔵管理センターで一時保存されているそうです。
何十年も前から問題になっているのに最終処分場が全然決まらないのは日本っぽいよなぁと思っていました。

じゃあ世界はどうなんだろうと思って調べてみました。 結果、最終処分場に処分している国っていうのはまだ世界のどこにもありませんでした。
ということで、日本の原子力発電の未来について知りたければ、世界の状況を英語検索するとなんとなく真実が見えてくるよということがわかりました。




事例 人工地震
① 白川村
最大の人工地震
岐阜県白川村の御母衣ダム工事現場で150トンのダイナマイト爆破、わが国最大といわれる人工地震の観測が行われました。人工地震研究グループや多数の工事関係者が見守るうちに、爆破の瞬間が刻々と近づきます。(起爆装置による爆破が行われる)轟音とともに崩れた山肌は恐ろしい山津波となって落下、東は筑波山、西は淡路島まで、500キロ余りにわたる19箇所の地点で観測されました。この結果、震度は弱震程度でしたが、期待通りの地震波測定ができ、観測は一応の成果を収めて終わりました。
https://www.youtube.com/watch?v=_zWD5T-zl1o




② 311
311の寸前に東京都知事選出馬を表明し、
311の直後に天罰説を唱えて物議を醸し、
311の一ヶ月後に都知事に当選した、
石原慎太郎のナリスマシ7号曰く、
「日本人のアイデンテイテイ―は我欲だ。
この津波をうまく利用して、
我欲をいっかい洗い落とす必要がある。
これはやっぱり天罰だと思う。
アメリカのアイデンテイテイ―は自由、
フランスは自由と博愛と平等、
日本にはそんなものはない。
我欲だよ、我欲。金銭欲だ。
我欲に縛られて政治もポピュリズムでやっている。
それを津波でいっきに押し流す必要がある。
積年たまった日本の垢をね。」




後日の記者会見で自説を固持する石原慎太郎のナリスマシ7号 
バタック 貴種 八瀬童子 男性 統合失調 お金を見ている 
https://www.nicovideo.jp/watch/sm13860539




参照 石原慎太郎の追悼記事
文藝春秋デジタルの提灯記事
序列3 石原慎太郎のナリスマシ12号 バタック 貴種 八瀬童子 男性 お金を見ている
序列2 石原典子 バタック 貴種 八瀬童子 女性 序列を見ている
序列1 石原延啓 バタック 貴種 八瀬童子 男性 権力を見ている
https://bungeishunju.com/n/n2e244a31f037




参照 西日本新聞の追悼記事
弟の石原裕次郎氏(右)と写真に収まる石原慎太郎氏‐政界と文壇で異彩
「太陽の季節」を体現 石原慎太郎さん死去氏 - 政界と文壇で異彩 「太陽)
序列1 石原慎太郎 ユミルの民 貴種 双子のチータ 女性 権力を見ている
序列2 石原裕次郎 ユミルの民 双子のチータ 女性 精霊 家族を見ている
https://www.nishinippon.co.jp/image/443357/




参照 スポニチの追悼記事
弟・裕次郎さん(右)から応援を受ける石原慎太郎氏(1975年)
序列1 石原典子 バタック 貴種 八瀬童子 女性 序列を見ている
序列2 石原慎太郎 ユミルの民 貴種 双子のチータ 女性 お金を見ている
序列3 石原裕次郎 ユミルの民 双子のチータ 女性 好きな人を見ている 精霊
https://www.sponichi.co.jp/entertainment/news/2022/02/01/gazo/20220201s00041000355000p.html




参照 芥川賞(文藝春秋主催の万引き作家賞)『太陽の季節』特別出演
石原慎太郎 ユミルの民 双子のチキ 女性 お金を見ている 万引き作家
https://www.youtube.com/watch?v=Mo04z9Uyzbg&t=109s




③ 711
国が認める人工地震!2011年7月11日衆議院復興特別委員会で浜田政務官.flv
https://www.youtube.com/watch?v=sfr6NoMEZYk


野党議員
正直、スマトラ沖地震と津波は、アメリカの地震津波兵器のしわざだ、
と言われたら、国際的な震災復興の協力体制といったって、
むしろアメリカだってこんな人を登用するなんて、
日本国政府は何を考えているんだと、
思われてしまうのではないかと心配をいたします。
どう思われますか、浜田政務官。
 

議長
総務大臣政務官浜田和幸君。


浜田政務官
えーお答えいたします。
えー地震兵器とか、
自然改変装置というのは別にアメリカだけではなくて、
旧ソ連も今のロシアも中国も多くの国々がですね、
研究開発に余念なく取り組んできた事実があります。
しかも地震あるいは津波、
人工的に起こすということは、
実は技術的には十分可能といわれてるのは、
国際政治軍事上で常識化されているわけであります。
そういった意味でスマトラ沖の問題にしても、
そういう可能性があるということを十分踏まえた上で、
世界の国際政治現実を捉える必要がある、
っていうのが私の基本的な考え方であります。
だからといって、
そのことでアメリカ政府やアメリカのさまざまな企業が、
日本のために援助をしない、そんなことは決してありません。
現実にさまざまですね、アメリカの軍の関係の技術、
国立のさまざまな研究所からですね、今回の大震災に関して、
技術的な協力がしたいという申し出が寄せられている、
という事実があるわけであります。
以上です。


コメント欄
直也 4年前
人工地震は、日本国内でも各都道府県で実験されるなど、「普通」の技術である。例えば、神奈川県消防防災課が1983年に行った人工地震では、爆薬量を間違えて、震度1の予定が「震度5」の大地震になり、新幹線が止まっている。そもそも、人工地震は資源探査などに活用されており、世界経済の基盤である。あたかも、陰謀論みたいな扱いをするのは如何なものか。




④ 気象庁
「自然地震でない」 気象庁が観測2016/01/06
気象庁は6日午前、北朝鮮付近を震源とする地震を観測した。地震波の特徴などから、地殻変動による通常の地震とは異なり、「自然地震ではない可能性がある」としている。
https://www.youtube.com/watch?v=nIZ6TFTQFg4


気象庁「地震と異なる波形」 過去の核実験と類似(16/09/09)
北朝鮮北東部で9日午前9時半ごろ、マグニチュード5.3の地震がありました。北朝鮮が5回目の核実験を実施した可能性があります。気象庁は、9日午前11時から緊急で会見を行い、「通常の地震とは異なる波形を観測した」と発表しました。
https://www.youtube.com/watch?v=_uctj8dudAQ




⑤千年に一度の地震
“1000年に一度の地震” 専門家「ワーストシナリオの中でも予想上回る」 能登半島地震の発生メカニズムを解説|TBS NEWS DIG
流体移動説を唱える地震学者
序列外 西村卓也 地位を見ている
序列1 吉村令慧 バタック 純血種 八瀬童子 男性 権力を見ている
https://www.youtube.com/watch?v=6Zx9zAGD5fk




事例 麻生太郎
その高祖父・高祖母・曾祖父・曾祖母・祖父・祖母にはバタックの貴種が名を連ねています。
但し吉田茂の本物はユミルの民の双子でしたが戦後にナリスマシに取って代わられています。
しかし本物の麻生太郎はトラジャ、父親の麻生太賀吉も母親の麻生和子もトラジャなのです。
本物の麻生太郎は両親の影響で知性と愛情が非常に豊かでその目は常に家族を見ています。
やがて日米講和条約を契機にして両親がバタックのナリスマシに取って代わられたように、
麻生太郎自身も1979年に知性愛情のカケラもないナリスマシに取って代わられています。
ナリスマシというのは聴衆に向かって開口一番「下々のみなさん」と呼びかけて顰蹙を買い、
踏襲を「ふしゅう」と湯桶読み?して教養の欠如を自ら暴露してみせたあの御仁のことです。
台湾有事を吹聴する麻生太郎のナリスマシ バタック 八瀬童子 男性 権力を見ている
https://www.youtube.com/watch?v=hrGTm3F3jeU




麻生太郎の若い頃はイケメンでおしゃれだった⁈現在までの画像を時系列で徹底検証!
https://kominamiyasuha.jp/asotaro-young/
写真の内訳
1番目の写真 麻生太郎のナリスマシ バタック 八瀬童子 男性
2番目の写真 同上
3番目の写真 同上
4番目の写真 同上
5番目の写真 1977年の本物の麻生太郎 トラジャ チータ3号 女性
6番目の写真 本物の麻生太郎 
7番目の写真 本物の幼少時の麻生太郎 
8番目の写真 1975年の本物の麻生太郎 
9番目の写真 1976年の本物の麻生太郎 
10番目の写真 麻生太郎のナリスマシ 
11番目の写真 1978年の本物の麻生太郎 
12番目の写真 1979年の麻生太郎のナリスマシ
13番目の写真 43歳という触れ込みの麻生太郎のナリスマシ
序列2 麻生ちか子 バタック 八瀬童子 女性 序列を見ている
序列1 麻生太郎のナリスマシ
14番目の写真 第92代首相に扮した麻生太郎のナリスマシ
15番目の写真 麻生太郎のナリスマシ
16番目の写真 麻生太郎のナリスマシ




事例 台湾の阿片政策
 阿片専売制のもと、台湾の阿片中毒者はどうなったか。江戸時代、「百姓は、生かさぬように、殺さぬように」取り扱われたという。これと同様に、日本は阿片中毒患者に対して、まさに「生かさぬように、殺さぬように」という方針で臨んだ。この言葉がぴったりあてはまった。  
 まず「殺さぬように」のほうである。専売当局からすれば、阿片中毒患者がわずか数年で簡単に死んでもらっては困る。彼らは専売当局にとって大事な金づるであった。彼らの死は金づるの消滅を意味した。好都合なことに、阿片中毒は比較的軽かった。工業製品であるモルヒネやヘロインの中毒に比べれば、明らかに中毒の程度は軽かった。阿片吸引という方式は一六、一七世紀に発明された。古い時代に考案された方式なので、当然なことながら効率は悪かった。日本側の実験によれば、この方式では当初、阿片煙膏に含まれているモルヒネ分のうち、六分の一程度しか体内に摂取できなかった。効率が悪いということは、別の面から見れば、中毒の程度が軽いということであった。
(中略)
 阿片中毒になった者でも、きちんと栄養を取っていさえすれば、数年という短期間で死ぬことはなかった。一〇年、二〇年と長期に渡って阿片を吸い続けて老齢に達した阿片中毒者も十分、存続できた。それ故、専売当局が求める第一点、すなわち、阿片中毒患者はなるべく長生きしてほしいという要望はクリアーできた。
 次は第二点の「生かさぬように」である。これは、阿片中毒患者が中毒から離脱し、治癒されては困るということを意味した。要するに、中毒者は中毒になったままの状態で長生きしてもらわねばならなかった。中毒から離脱し、治癒して、再び健康な身体に戻ってしまえば、もう阿片を買ってくれないからである。
 実際、阿片中毒者に対する治療はほとんどやらなかった。まじめに治療した結果、彼らが本当に中毒から治ってしまったら、困るからである。代わりに日本側は阿片が切れた時の禁断症状のきつさを極端に強調した。それはほとんど克服しがたいものとされた。阿片中毒は医療によっても治療できない。まして中毒者自身が医者の手を借りずに、自力で中毒から離脱するなど、到底不可能なことだとされた。中毒者はただ死ぬのを待つだけだという立場だった。要するに、いったん中毒になったら、もう治らないと中毒者たちに治療をあきらめさせる方向で指導した。
 専売当局からすれば、中毒者が早く死ぬのもいけなかったし、また、中毒から離脱してもいけなかった。とにかく長期にわたって、彼らが専売当局のよい顧客であり続けることが望まれた。
 中毒者が必要とする量の阿片は確実に提供する。お前たちはそれを吸ってせいぜい長生きせよ。長生きして、財政上、貢献し続けよというわけである。こうして、いったん阿片中毒になったら、ずっと死ぬまで中毒者であり続けることが求められた。
 彼らは生きている限り、それこそ数十年にわたって、専売当局が売り渡す阿片(あるいは阿片煙膏)を買い続けざるをえなかった。彼らを専売当局が用意した阿片のよい顧客にとどめておくことができた。当局にとって、これほど確実にもうかる、うまい『商売』はなかった。いわば濡れ手に粟で、長期にわたって、彼らを収奪できた。こうして、一定の専売収入は毎年、確実に保障された。阿片供給量を減らさなければ、専売収入もまた高いレベルにとどまった。
 逆に阿片中毒者にとって救いはなかった。結局、一大決心をして、きつい禁断症状を乗り切らない限り、この地獄から救われる道はなかった。彼らは専売当局によって確実に捕捉され、死ぬまで搾取され続けた。彼らは死ぬまで専売当局の金銭上の奴隷となった。逃れる道はなかった。死ぬことで、やっとその網から逃れられた。
 このように後藤新平が考案し、実施した阿片専売制は、台湾でもののみごとに成功する。
 その収入は長く台湾の植民地財政の基幹部分をなしていた。そこで、次に手に入れた(中国人が住む植民地である)関東州でも、全く同じシステムが導入される。ここでも、また大きな利益をあげた。さらに満州国ができると、ここでも同じ専売制が導入された。要するに中国人がいる植民地を獲得すれば、日本は必ず阿片専売制をしき、収益をねらった。
(倉橋正直『阿片帝国日本』より抜粋 太字は引用者による)




 もし、この阿片政策がなかったならば、また、阿片政策による恒常的な収益がなかったならば、日本が、一〇〇万もの大軍を八年もの間、中国大陸に派遣し続けることは到底、不可能だったろう。その意味からいえば、阿片政策こそ、財政面で日中戦争を支えていた基本であった。阿片政策はそれだけの決定的な重要性を持っていた。
(中略)
厚生省だけ戦後まで生き残る
 戦前、国内の阿片政策を担当した中央官庁は、時期的に二つに分かれる。すなわち、明治初年以来、内務省が担当していた。ところが、一九三八年一月一一日に厚生省(現在は厚生労働省になった)が新設されると、それまで内務省が管轄していた薬務行政はすべて厚生省に移管された。厚生省が担当した時期は約八年間と時間的にはたしかに短かったが、しかし、この時期は戦争とずっと重なる。戦時体制下の阿片政策ということで、厚生省が担当した時代は、それ以前よりも、客観的には一層、重要性を帯びていた。
 戦前、多くの国家組織が国内外で阿片政策にかかわったが、しかし、敗戦によって、ほとんど消滅してしまう(たとえば、内務省、興亜院・大東亜省、軍部、および台湾総督府などの植民地官庁)。そういう中で厚生省だけが、戦後までいわば無傷で生き残る。
 厚生省は、戦時中、八年間にわたって阿片政策を担当したにもかかわらず、これまで一貫して、それに関する資料を公開してこなかった。
(中略)
 戦前、モルヒネ・ヘロイン・コカインなどを独占的に生産していた製薬会社(大日本製薬株式会社、三共株式会社、武田薬品工業株式会社。この三社のほかに星製薬株式会社があったが、のち、倒産してしまった)も、これまで、やはり、関係資料を一切公表していない。
(中略)
 戦前、そして、おそらくは戦争中も、日本のモルヒネ類の生産は世界第一位であった。原料阿片の納入や、生産されたモルヒネ類の配布などの仕事はおおがかりなものであったから、口頭だけでやれるはずがなかった。
 厚生省と製薬会社との間で、必ず数多くの文書がやり取りされたはずである。そういった文書の多くは、たしかに敗戦の際、国際条約違反で追求されることを恐れ、焼却されてしまったであろう。しかし、関係資料の量は膨大なものであったから、全部をきれいサッパリ焼却しきるのは、到底、不可能であった。必ず、ある程度は焼却しきれずに、どこかに残っていると私は推察する。そういった資料が、現在の厚生労働省のどこかに眠っていると、私は固く信じている。(倉橋正直『日本の阿片王 二反長音蔵とその時代』より抜粋 太字は引用者による)




 その著書の中で、二反長音蔵は、早い時期のケシ栽培のことを記している。それによれば、彼のいる大阪府三島郡では、ケシは、昔、奥州津軽地方から伝わったという言い伝えがあることから、ケシのことを津軽と呼んでいた。ケシが伝わった時期は、その本(一九一七年の刊行)で一〇〇年前といっているので、江戸時代中期ということになる。
(中略)
 これまで、二反長音蔵が阿片の国内自給を思いつき、ケシ栽培の普及を図るようになったきっかけは、日清戦争で領有した台湾において、日本が阿片政策を実施したことからと説明されてきた。例えば、二反長半『戦争と日本阿片史』も次のように述べている。
「音二郎がケシの栽培を思いついたのは、新聞で台湾島民の吸引阿片を輸入する金額の莫大さに驚いたからで、そのための国費の海外流出が国の経済にまで影響すると書いてあったことによる。」(前掲書八頁。なお、音二郎は音蔵の若い時の名前。)
 しかし、先に紹介した史料から判断すると、どうも、それは違っているようである。彼は、もっと前から、すなわち、台湾領有以前の時期から、ケシに注目している。
 二反長音蔵とケシを最初に結びつけたのは、(これまでいわれてきたような)台湾における阿片政策ではない。別のものである。それを、私は、同じ大阪にある道修町(どしょうまち)の存在に求める。すなわち、道修町は、薬を専門に扱う昔からの問屋街である。現在も薬関係の店が多く軒を並べている。薬専門の問屋街であるから、当然、阿片も取り扱った。
 二反長音蔵のいる三島郡(北摂地方という)は、道修町に比較的近い。また、土質がケシの栽培に適していた。そこで、道修町の需要に応える形で、かなり以前、すなわち、江戸時代中期から、ここで、ケシ栽培=阿片生産が、ある程度の規模で行われてきたのではなかろうか。その伝統の延長上線に、二反長音蔵の活動があったと私は推理する。
(倉橋正直『日本の阿片戦略 隠された国家犯罪』より抜粋 太字は引用者による)



 一八九七(明治三十)年三月、「台湾阿片令」の公布で専売制による漸禁が実行に移された。原料阿片を総督府製薬所が製品に加工し、指定の元売り、中売業者を通じて特許薬舗に卸す。新流通ルートは、中毒者のみの販売がたてまえだったが、実際は満二十歳以上なら、医師の証明がなくても購入できた。
 専売―特許販売はザル状態となり、吸引者数は一時的に増える。しばらくすると総督府に年間一六四万~四四三万もの阿片専売収入が転がり込むようになった。
 阿片が台湾から駆逐されるには長い年月がかかった。吸引特許者数は、一九〇〇(明治三十三)年の一六万九〇〇〇人を頂点に、一九一〇(明治四十三)年九万九〇〇〇人、一九二〇(大正九)年四万八〇〇〇人、その十年後に二万三〇〇〇人。太平洋戦争中に原料阿片の輸入が断絶し、やっと台湾から悪習が消える。台湾領有五十年間、総督府は一貫して漸禁主義を変えなかった。
 さらに専売による特許販売という魔のからくりは、日本の大陸進出の暗部に受け継がれ、中国の東北地方から蒙彊地方へと伝わる。そこで得られた資金は軍国主義に染まって行く日本の闇の財源となった。『日中アヘン戦争』(江口圭一著・岩波新書)は、青島、満州で阿片を原料とするヘロイン製造に携わった技師の手記「麻薬と戦争―日中戦争の秘密兵器」を紹介している。この手記の孫引きをお許しいただきたい。

 「大手製薬会社が、日本の国内で阿片を生産し、さらにヘロインを製造して、製品を支那大陸  に運んだのにたいして、大正も末期になると、大阪道修町の製薬業者などはヘロイン製造を支那現地でやる方法をとりはじめ、数多くの技術者や工人が大陸へ渡っていった。現地で作られたものを売りさばく販売網としては、富山の薬売り行商人がこれに参加したのだった。(中略)もちろんヘロインの製造は支那政府官憲の前で公然と行えるものではない。・・・だが、日本の薬業者が現地生産を始めた地域は、満州、北支という、日本軍駐屯地域内で、日本軍を隠れ蓑にするどころか、十分な保護を与えられるまったくの金城湯池だったのである」

(山岡淳一郎『後藤新平 日本の羅針盤となった男』より抜粋 太字は引用者による
本書の表紙の後藤新平 バタック 純血種 八瀬童子 女性 お金を見ている)




 阿片にまつわる話はこれで終わりではない。戦後になって、この阿片のためにひどい仕打ちを受けたひとがいる。海老沢行秀氏で、氏は「終戦秘話・満州から運ばれた阿片の怪」と題して、次のような手記をわたしのもとに寄せられた。昭和通商と阿片とのからみにGHQが一枚かんで戦後秘史の一片を構成しているこの手記は、いままでのどの話よりも面白いので、ここに紹介しておきたい。

 ソ連が国境を突破して雪崩のように満州に侵入を開始し、日本の敗戦が間近に迫っていたときのことである。関東軍、日本の厚生省、満州国軍政部は語らって、あるひとつの極秘任務を画策した。それは、関東軍の倉庫にあった十二トンの生阿片をめぐる秘策であった。阿片をそっくりそのまま日本に持ち帰ろうという計画である。
 この計画は、即、実行に移された。
六台の軍用トラックに積まれた生阿片は、林市にまず運ばれ、そこから鉄道で朝鮮に入り、半島を南下、二十年九月二日夕刻、九州の唐津に到着した。
 九月二日という日付はその後、この物語のひとつのキーポイントを成すに至る。
 唐津で陸揚げするときには、県警の部長、地元警察署長も立ち合った。阿片は調べて見ると八トンに減っていた。これは、途中、貨物を積んで無事通過するためにさまざまな工作や宣撫用に消費されたことを物語るものであった。
 阿片の出荷人は関東軍で、荷受人は厚生省だった。唐津で、担当者たちは東京の大本営や厚生省に引き取りの打電をしたが、終戦直後だったためか、どちらからも反応はなく、人びとの不安といらだちがつのった。現地からそこまでの運送責任者は、関東軍の陣野大尉、補佐役の満州国総務庁経済部の岩崎事務官らであった。
 そのうち、米軍が港湾倉庫を臨検するというニュースが入ったため、かかわり合いを恐れたためか、県警関係者も、貨物の県外退去を迫る始末だった。一行はやむなく、三十トン積みの機帆船をチャーターすると、ひとまず神戸に向かった。船員たちに対しては、積み荷の中身はもちろん極秘であった。このことも、あとになって重要な伏線を形づくることになる。
 一方、この頃になって、厚生省から亀山という事務次官がやってきて、麻薬関係については現在、GHQの特別政令ゆえに引き取りは不可能だから、ひとまずどこかに保管して様子を見ようとの提言をした。といっても、そのような荷物を預かれるようなところは当時ありそうにもなかった。
 陣野大尉らは思いあまって、相談方を昭和通商の生みの親のひとり、岩畔少将のところに持ち込んだ。わたしが、この問題にかかわりを持ったのはそのときからである。わたしはそのとき、ちょうど神戸の堀事務所にいて残務整理にとりかかっていた。この阿片処理に関係したのは、昭和通商ではわたしと五嶋德二郞氏の二人であった。
 神戸に入港した荷物は、ここでも継子扱いされた。(中略)仕方なく船はいったん和歌山港まで運航され、近くに冷蔵庫設備をもった漁港を探すことになった。幸い、徳島県の小松島港に、冷蔵庫会社があることがわかり、早速、荷物を黒糖、黒蜜類と偽って、その保管契約を結ぶところまでこぎつけた。いよいよ小松島に出発する前夜、思わぬことが起こった。ここから台本は大幅な狂いを見せ始めたのである。
 明日は出帆という夜のこと、船員のひとりが和歌山市内で酔いつぶれ、荷物のことをしゃべってしまったのである。(中略)しかも悪いことに、そのおしゃべりをそばで耳にしたのが、こともあろうに朝日新聞の記者だったことである。これが第二のつまづきだった。翌日の新聞は、この満州からの生阿片のスクープで飾られた。こうなると、もう事態はわたしたちの手に負えなくなるのは自明だった。
 占領軍の追求が始まった。(中略)この仕事にかかわったわたしたち全員は摘発され、皆、在宅のまま取り調べを受けたけれども、大したことにはなるまいとタカをくくっていた。たとえ、処罰が行われようと、お叱りを受けることくらいだろうとひどく楽観していたのである。
 ところが、二十一年四月になって、突然、わたしたち全員は検束され、和歌山の女囚刑務所にぶち込まれてしまったのである。女囚刑務所というのも異状なら、外界との交通を一切遮断されたのも異状なことだった。ここでも台本は、わたしたちの意図を離れて勝手に動き始めたのだ。間もなく、わたしたちは起訴され、公判にふされることになった。(中略)検察の言い分は次のようであった。
(一)貨物は昭和二十年九月二日午後四時頃、唐津に入港されたが、この日の午前十一時、東京湾のミズーリ号上において重光外相が降伏のサインに署名した時刻より五時間後のことである。よって、日本国が満州、朝鮮の統治権を失った後の入港である以上、通常の国内貨物移動ではなく、外国からの密輸入であると認定される。
(二)亀山厚生省事務次官を取調べたが、かかる阿片については厚生省は何等関知していないとのことであった。
(三)事件は八月十五日以前、共同謀議により発生しているので本件の処断は旧刑法の適用が順当である。
(中略)
 裁判の結果は、ほとんど全員に有罪が言い渡された。この仕事に直接タッチした陣野大尉以下は実刑、わたしも一年の実刑判決をもらい服役することになった。関係県知事は左遷転勤、各県警部長や地元署長も待命または実刑という厳しいものだった。
 この事件で不思議なことは、マスコミの対応だった。正直に言って、このときマスコミは何もしなかった。発端が朝日新聞の記事であったにもかかわらず、その後、この件についての後追いも裁判報道も一切、見事なくらいになされなかった。(中略)
 いったい誰が得をしたのか。実は阿片のその後の行方に鍵が隠されている。八トンという麻薬を犯罪ルートの組織に乗せた場合、末端価格は当時でも優に一兆円は下らない。記録的なものである。紀伊水道で拿捕された船の荷物はその後、和歌山県に陸揚げされて、米軍のトラック三台に積み込まれ、東京のGHQ本部に向かった。ところが、このトラックはいつまでたっても東京には到着しなかったのである。
 そこで調べて見ると、場所ははっきりしないが、おそらく箱根山中の国道上に、三台のトラックは乗り捨てられていた。もちろん、積荷も、つきそいの米軍兵士も運転手も消えていた。一兆円の阿片は忽然として蒸発してしまったのである。このとき、一緒に蒸発した人間が一番得をしたことになるだろう。その後、この阿片はこの世から本当に消え去ってしまったかのように行方がわかっていない。(引用者注 フツーに考えて言っていることがオカシイ。このとき一緒に蒸発した人間はただ使われただけであって、トラックから積荷を移し替えて用済みとなった後は得をするどころか、命すら保証の限りではないということを危惧すべきである)

 この海老沢手記が述べる八トンの生阿片物語が語られたのは、本書が初めてである。
(山本常雄『阿片と大砲』より抜粋 太字は引用者による)

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