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majick120  マンガ教とスマホ教による人類8歳化計画


では前回に引き続き『少女マンガ界の偉大な母』についてプラプラ講義します。
花郁悠紀子の画像を堪能するのは取り敢えず萩尾望都を掘り下げた後に致しましょう。



さて前回、
「萩尾望都がマンガを描けないことはマンガ界の公然の秘密であり、
他のマンガ家たちはこれを寄ってたかって補完している」と書きましたが、
正確には「補完させられている」と言った方がより妥当でしょう。


萩尾望都『40周年』を記念して出版されたプロパガンダのために描かせられたであろう、
ちばてつや、安彦良和、永井豪、里中満智子、山岸凉子、青池保子らの特別寄稿には、
萩尾望都に対する嫌悪感や軽蔑がそれぞれの個性あふれる方法で表現されています。


詰まるところマンガ界の『神』は「浮いている」存在なのである。
そういうことをそれぞれのやり方で示唆しています。


なるほど萩尾望都ほど『錬金術的哲学』を体現した『マンガ家』は珍しい。
絵も描けない、怠惰で頭もよくない、ルックスも並み、虚栄心だけは抜きんでている。
こういう人物が『少女マンガの偉大なる母』という大役を40年も張り続けて来た。
なぜそういうことがまかり通ってきたのか。



その理由を色々考えましたが消去法で残ったのは男女の情実絡みです。
恐らくこれが当たらずと雖も遠からぬ真相でしょう。
萩尾望都の背後にはマンガ界に君臨し絶大な権力を誇る愛人ないし保護者がいた。
その人物が増山法恵に大泉サロンのオーガナイザー役を命じた。
目的はただ一つ。萩尾望都の『錬金術的』三位一体を為す人材を確保するためです。



萩尾望都がマンガ界の偉大なる母として君臨できたのは、
萩尾望都が朝鮮王族の血統だから。
血統が良ければ中身が空疎でも序列が高い。
それが究極の家畜制度『666』の本質だから。
肝要なことは大泉サロンは萩尾望都のために創られたのであり、
オーガナイザー役が増山法恵でなくてもかまわなかった。


「大泉サロンは当初の目的を達成したので1972年に解散した」
と萩尾望都が証言している通り、大泉サロンの解散に伴い、
逸材中の逸材たる花郁悠紀子が萩尾望都の住み込み『アシスタント』になっています。


通説では大泉サロンは竹宮恵子と萩尾望都を中心に人材が集まったことになっていますが、
竹宮恵子自らが萩尾望都との同居を発意したのは自分ではない旨を断言しています。
荒俣宏編者『日本まんが第参巻 きらめく少女の瞳』に記載された竹宮恵子の受け答えからは、
当時の竹宮恵子には他に選択肢がなかった、そういう事情が言外に伝わって来ます。





文藝別冊総特集『少女マンガ界の偉大なる母 萩尾望都』河出書房新社
 







 



このバカみたいな写真を撮って記事を書いた連中は実に恥さらしですね。
その意図とは逆に萩尾望都がマンガを描いたことがない事実を露呈させています。


『創作の根源 萩尾作品の生まれる場所』と称する上下二枚の写真は完全に地雷を踏んでいます。
止せばいいのにこういう粗雑なアリバイ工作を弄するから化けの皮が剥がれるのです。


上の写真では萩尾望都はペンを使う右手の下ではなく、左手の下にテイッシュを宛がっています。
なぜだと思いますか?萩尾望都は右手を使わないから。右手は描くフリをするだけだからです。
それ以外に何がありますか。そのペン先にはインクもついていません。


一転して下の写真ではペン先にインクがついています。
いつのまにかペン先が触れている部分とややかけ離れた場所に何やら描いた形跡があります。
しかし依然としてテイッシュは左手の下に敷かれています。
左手にはやけに力が入っています。しかし肝心の右手は完全にリラックス状態です。
萩尾望都の右手はマンガを描かない。別の第三者が描いているからです。


なぜ下の写真だけペン先にインクがついているのか。
第三者が描いた後に、萩尾望都がそのペンを持ってポーズを取って見せたからです。
そうやって連続してもいない写真をあたかも連続しているかの如く見せている。
やっていることは例のNHKのヤラセとまったく同じです。



そもそも萩尾望都は『マンガ家』になった経緯からしてウソ八百で練り固められています。



1 本人の自己申告


河出書房新社前掲書より


萩尾望都2万字ロングインタビュー わたしのマンガ人生

(前略)


萩尾 ・・・『新撰組』をお小遣いを貯めて、はじめて単行本で買って読んで。なんかほんっとにショックを受けてしまって。


―初めて買った単行本だったんですね。


萩尾 はい。自分で初めて買って、まとめて読んだせいもあるかもしれないですね。


(中略)


―原稿書いて送ったりしなきゃいけないですよね。



萩尾 高3の時に漫画家になろうと決めてからは、まじめに投稿作品に取り組みました。


―漫画関係の出来事は高3の頃に集中しているんですね。(中略)


萩尾・・その後、高校を卒業して就職するかどうかとなった時に、絵がちょっとヘタだから、絵の勉強をしたいなと思って。姉が大阪のデザイン学校に行っていたので、私も通わせてもらえないかと言って。姉は商業デザインをやっていて、商業デザインは大変だというので、私はじゃあ服飾デザインのほうをやりたいと。福岡市内のデザイン専門学校、ニホンデザイナー学院ファッションデザイン科に入学しました。


(中略)


―でもデビューのきっかけは、平田さんに紹介していただいた持ち込みなんですね。


萩尾 そう。返却されていた原稿を持って『なかよし』の編集さんに会いに行って。それが専門学校の冬休みだったかな。その担当の人が「絵がかわいいから、からいい話を描いていらっしゃい。いつまでに送れます?」って聞くので。その時すでに1月の15日だったんですけど「今月中に送ります」と言って。急いで描いて。


―半月で!それがデビュー作の『ルルとミミ』(1969年)


萩尾 そうです。すごく急いで描いたから線が荒れて。これはちょっと向こうが失望するかもしれないと思って、「次はちゃんと描きますから」とか言い訳いっぱい書いたら、「これでデビューさせたいと思うけど、一作しかないと後がないから描きためてください」って言われたので『すてきな魔法』を描いて・・・。



(中略)


―講談社の『なかよし』でしばらく描いていらして、小学館の『少女コミック』に移られましたが、移ったという意識はあったのでしょうか。


萩尾 ありました。


―それは契約で移られたのですか?


萩尾 いやいや。当時は新人ですから契約などはありません。いきさつはね、講談社の編集さんに頼まれて、一晩のアシスタントにいくことになったんです。デザイン学校を卒業するかしないかの頃だったと思います。原稿を見せに上京しているときに。その時に行ったのが、青池保子さんと竹宮恵子さんのところ。竹宮先生のアシスタントに行ったのが『ケーキケーキケーキ』を描く前後でした。


―竹宮さんと会われたのは、そのアシスタントの時が最初なんですか?


萩尾 昔のことなのでよく覚えてなくて。でもたぶんそうですね。彼女はもう東京に出て『なかよし』で仕事してらっしゃいました。それでアシスタントさせていただいた時、竹宮さんが「萩尾さんはご出身はどちらですか。あなたも東京にいらっしゃるんですか?」と聞くので「大牟田なんです。上京はしたいけどまだちょっと」って言ったら、「私も引っ越そうと思っているんですけど、適当な家があったが一緒に住みませんか。そのほうが家賃とか生活費とか安くすむし」と。要するにシェアですね。誰かほかの女の人と住むからといったら、うちの両親もOKしてくれるかなと思って。


―上京なさるきっかけは、その竹宮さんの言葉だったんですね。


萩尾 そうですね。上京費用はアルバイトとかお年玉とかお小遣いを貯金するとか、原稿料とか。それまでに入賞した賞金も貯めていました。その後『ケーキケーキケーキ』の仕事が来てまとまったお金が手に入ったので、これで敷金礼金が払えるって頃に、大泉に3部屋あるいいおうちが見つかったというので引っ越しました(1970年)。



オーガナイザー役を務めた増山法恵の存在は影も形もなくなっています。




2 両親の証言  本人の自己申告とはまったく違うことを『証言』しています。



河出書房新社前掲書より


萩尾望都家族インタビュー


家族インタビュー1 両親が語る萩尾望都の素顔  父 萩尾浩  母 萩尾淑子


(中略)


淑子 ・・・でも、私たちが知らない間に東京の出版社に漫画を投稿していたようです。それで講談社の方が私どもの家を訪ねてこられて、「ぜひ娘さんを東京に出してください」と。私たちは「女の子ですから」とお断りしたのですが、東京に出ないと漫画家としての仕事はできないと言われました。


浩 編集長の方からそれまでに何度も「娘さんを東京に出してほしい」という手紙をもらっていたのですが、私たちは出版業界のことは何も知りませんでした。当然講談社のことも知らない。それで私が勤めている三井鉱山の本社が東京にありましたから、そこの勤務の同僚に講談社というものがどういた会社なのか調べてほしいとお願いしました。その返事は「大したものですよ」と。
 そういうことを知った上で、こちらに来られた講談社の編集長と会い、あらためて「雑誌の付録に、御嬢さんの漫画を2ヵ月にわたって掲載したい」と言われました。そして、そのためには東京に来てもらって描いてもらわなくてはいけない、と。それで私たちはもとこをテストの意味合いも兼ねて2ヵ月ほど東京に出したわけです。





3 竹宮恵子の証言


荒俣宏編者『日本まんが 第参巻 きらめく少女の瞳』東海大学出版部 2015年1月20日



荒俣 それは竹宮さんの発案じゃないのですか?


竹宮 いや、わたしじゃなくて、萩尾さんでもなくて、あの増山さんっていう・・・・。


荒俣 ああ、増山法恵(ますやま・のりえ 一九五〇~ まんが原作者)さん。やっぱりあの人がそういう計画を持ってきたんですか。


竹宮 その通りです。彼女が目論みました。


荒俣 やはり、そうですか。


竹宮 わたしと萩尾さんがいればきっと、惹かれてというか、いろんな人が来てくれるに違いないということで、自分のうちの近くに部屋が空いたので住まないか、ってことになったんです。練馬の大泉の、増山さん宅の斜め向かいに。


荒俣 そうすると、増山さんが竹宮さんと萩尾さんに声をかけてきたんですか?


竹宮 最初は、増山さんと萩尾さんがペンフレンド(すごい古い感じ)で。私は萩尾さんにアシスタントしてもらってから、その仲間に入りました。そうこうするうちに、いろいろわたしたちのところへ手紙が来ますよね。


荒俣 ええ。はい。


竹宮 それで、手紙が来た人の中で、この人はいけるんじゃないかっていう人に、「遊びにきませんか?」って声をかけて、遊びに来てもらうんですよ。


荒俣 はい。勧誘ですね。


竹宮 で、そうやってやりとりしていたり、泊まってもらったりしているうちに、みなさんがまんが家になっていったりするわけです。
               





この『目論み』の発案者は萩尾望都のバックにいた人物です。
増山法恵はその人物に逆らう勇気はなかった。
だから萩尾望都とは気の合うダチでも何でもないけど連絡を取り合っていた。

大泉サロンの眼目はあくまで萩尾望都であって竹宮恵子ではない。
すでに桜台に一国一城を構えていた竹宮恵子にとってはむしろ迷惑な話だった。
マンガを描けない『マンガ家』とサロンを主催して誘蛾灯の役を演じても嬉しい訳がない。
しかし竹宮恵子もまた命令に逆らえずに協力した。




4 萩尾望都10代の習作


手塚治虫に傾倒して高3の時に漫画家になる決意をしたということですが、
デビューする前に描いた習作は石森章太郎を思わせるような絵柄です。
これを萩尾望都が描いた?アリエマッセン・・・。



河出書房新社前掲書より




 

いや~アリエマセンの百乗ですね・・・


 

 



 
 


 

 







ネームの字だけがやたらとキチンとしています。
萩尾望都本人が清書したんですね。



参照 男もすなる『少女マンガ』
http://blogs.yahoo.co.jp/uran_atom_7/26382372.html




5 萩尾望都デビュー作品とCOM掲載作品

萩尾望都の初期作品の特徴は無名の新人のために複数の人間が協力していることです。
デビュー作品『ルルとミミ』には虫プロの特徴があまりにストレートに出過ぎています。
この作品は萩尾望都が19歳の時に描いたことになっていますが、
たった1~2年で前掲の習作とは絵柄もペンタッチも別人の如く激変しています。


ズバリ虫プロ作品です





『萩尾望都作品集1ビアンカ』小学館より『ルルとミミ』




荒俣 同じ世代の人たちが「COM」から何人も出ましたね、岡田史子(おかだ・ふみこ 一九四九~二〇〇五)さんとか。


萩尾 すごかった。岡田史子さんね。わたしもびっくりしました。まんがってこういう描き方もできるのと思って、すっかりその描き方に魅せられて描いたのが『ポーチで少女が子犬と』なんです。

                                   荒俣宏前掲書





『ポーチで少女が子犬と』は、
岡田史子の描き方に魅せられて描いたということですが、
岡田史子に魅せられて萩尾望都が描いたのではなくて、
花郁悠紀子がネームを切ってコマ割りを構成し、
キャラクターを岡田史子が描いている、
の間違いではないでしょうか。
こんな陰鬱な感性は花郁悠紀子にはありません。








『萩尾望都作品集1ビアンカ』小学館より『ポーチで少女が子犬と』





『すてきな魔法』という作品では、
花郁悠紀子(当時まだ高校生)に描かせています。
まさに出色の出来栄えです。



 
『萩尾望都作品集1ビアンカ』小学館より『すてきな魔法』



複数の人間によって描かれるこの特長は、
しかし『ビアンカ』以降から影をひそめています。
『ビアンカ』以降は花郁悠紀子だけが描くようになったのでしょう。
やがて小学館に移って『ポーの一族』でブレイクするとともに、
過去の『ボツ』になった原稿も次々と掲載されていきます。


ということになっています。


しかし『ボツ』になった一群の原稿を改めてじっくり見ましたが、
こんな完成度の高い作品をボツにするほど講談社の編集者がボンクラというのはアリエナイ。
今にして思えば『伝説の編集者』山本順也がすべて買い取ってくれたというのも作り話です。
マンガを描けない萩尾望都のプロデビューは最初からプロジェクトとして仕組まれています。
萩尾望都のバックにいた人物は世界支配層に直結していた大物でしょう。
出版社も言いなりです。
元々『666』がこういうシステムで出来ているんですね。
描かないマンガ家、描かない小説家、監督しない監督で出来ている。




花郁悠紀子の初期作品『父の天使』を参照してください。
たぶん中学生くらいの時に描いた作品しょう。
花郁悠紀子の実力が見くびられる傾向が一部の間にあるようですが、
彼女がプロとして描いた作品は5割以下の力でわざと下手に書いているんです。
佐藤史生も同様です。
花郁悠紀子が亡くなった後、
佐藤史生が萩尾望都の代作者を引き継いでいますが、
自作品の方にはほとんど力を割いていません。
わざとデッサンを狂わせて硬直した画を描いています。
みずみずしい感性と躍動感にあふれていた初期作品とは、
まったくの別モノになっています。


花郁悠紀子が描いたこの作品の延長線上に『ポーの一族』があります。








花郁悠紀子『踊って死神さん』所収『父の天使』秋田書店




花郁悠紀子が描いた原稿のコピーを、豪華本に装丁して販売するときは、
花郁悠紀子が書いたネームの字を、萩尾望都が書き換えています。
バランスのよくない悪字が萩尾望都の感性を現わしています。







『萩尾望都 自選複製原画集』白泉社 1978年9月25日





萩尾望都の代わりに花郁悠紀子と佐藤史生が描いている。
その端的な事実を証明しているのがこの豪華愛蔵本です。





本書の中に収められた漫画作品だけでなく、
別冊付録『モーさま世界を行く!』も、
花郁悠紀子が萩尾望都になり代わって描いています。
バランス感覚の良い手描きの文字は佐藤史生です。











萩尾望都『愛の宝石』スペシャル別冊『モーさま世界を行く!』小学館2012年12月12日




お次も佐藤史生が萩尾望都になり代わって描いています。
字も佐藤史生です。さきほどの悪字と全然ちがいますね。




小学館前掲書





6 マネージャー城章子の証言
(1979年の欧州旅行で『変容』の儀式に参加している)



河出書房新社前掲書


マネージャーが語る萩尾望都の素顔


(前略)


―萩尾先生の第一印象は。


城 紅茶を飲んで寝る人。1日12時間ぐらい寝てたから。




比較参照資料 実録少女マンガ家哀史
http://blog.mayutan.com/archives/51397618.html




7 世界支配層御用達ライターによる創作対談



河出書房新社前掲書


萩尾望都と私とシンクロニシテイと


マット・ソーン
アメリカ合衆国ペンシルバニア州生まれ。文化人類学者・マンガ研究者・翻訳者。
京都精華大学マンガ学部准教授。


私は萩尾望都と同じ5月12日生まれである。
無神論で非科学的な思想を嫌う私でさえ、このことに何かとユング的「意味のある偶然」を感じずにはいられない。なぜなら、萩尾作品に出会わなければ、私が歩んできた道は全く違うものになっていたはずだからだ。

22歳のとき、私は『トーマの心臓』を読んで、とてつもない衝撃を受けた。『トーマ』が私に与えた衝撃は、高校時代に呼んだサリンジャーの『ライ麦畑でつかまえて』や大学時代に読んだル=グウインの『闇の左手』のものに似てはいたが、『トーマ』が私に与えたのは衝撃だけではなく、その後の私の人生を変えるほどの影響だった。22歳で人生の分岐点の一つに立っていた私は『トーマの心臓』という作品全体と共鳴(シンクロ)したと言える。

「ひとつのマンガ作品はこれだけの衝撃を人に与えられるのか」
そのことに衝撃を受けた。そこからマンガを本格的に研究し始め、マンガの翻訳や評論などの仕事を手がけるようになった。手がけた英訳に萩尾氏の『11人いる!』や『A-A'』も含まれ、現在は『半神』や『イグアナの娘』などを収録した短編集を翻訳しているところである。





引用者注
というシナリオです。以下の対談もこの御仁による脚色が入っています。
マット・ソーンが一人二役で書いていても何ら不思議ではありません。
この『40周年記念』の特集自体がヤラセですから。





マット 『残酷な神が支配する』が出たときは、「これは『トーマの心臓』の大人版だ」と思いました。


萩尾 はい。コンセプトの段階でキャラクターが重なるもので、すごく困りました。


マット 名前も似ていますね。ジュリアンとユーリ。元が同じですね。「七月」。


萩尾 あ、そう言われてみればそうだ。潜在意識だ(笑)。





引用者注 
ジュリアンではなくジェルミです。マットは『残酷な神が支配する』をろくに読んでいない。 
全17巻の中で何回ジェルミの名前が呼称されているか一度その数を勘定してみたらいい。





マット 「母」の話が頻繁に出て来るんですけど、それは自分の母をモデルに・・・?


萩尾 そうなんですよ、「あなたの作品てお母さんよく死ぬのよね」と言われたこともあって。「あ、そういえばそうだな」と思って。なんか私、お母さんが怖いんですよ。


マット 普通に子どもを愛せないお母さん像が多い。


萩尾 そうですね。『イグアナの娘』なんかわりと典型だけど。なんというかな、子供の私も色々欠陥があったから、子供の時代はしょうがないけども、大人になってからちょっと和解しようと思って、ずいぶん歩み寄りを試みてみたんですけれども、決裂するだけだった(笑)。


マット 萩尾先生、とっても立ち入った質問していいですか?


萩尾 はい、どうぞ。


マット 『トーマの心臓』にしても『残酷な神』にしても、性的虐待の話が多いのは、自分の経験に基づいて描かれているんですか?


萩尾 うーん・・・いやそれはないんだけど、なんか人格崩壊の憂き目に遭うというような、精神的な虐待?・・・というのがすごくよくわかる。


マット それは自分の子供の頃の?


萩尾 多分そうでしょうね。(中略)ジュデイス・ハーマンの『心的外傷と回復』に、いろんなパターンの性的虐待の話が出てくるんですけど、家族とか娘さんとかが追い詰められていく心境というのがすごくわかるんですね。人間不信になったり、家出をしたり、拒食症になったり過食症になったり、精神的におかしくなったり。だからうちはそういった性的虐待みたいなものはなかったんだけど、家族内の緊張状態はこれに似ていたなと思えるんです。



インタビューの翌日、萩尾先生から「追伸」のメールをいただいた。(以下原文抜粋)


昨日のインタビューを受けているうちに、改めて、気がついたことがあります。
私の父と母は、理想的な良い家庭を創ろうとして、子供たちにいろいろな躾をしていた。それはありのままの子供を受け入れることではなくて、親の望む通りに子供を矯正すること。現実に、親たちの躾、強制をうけて、私はそれらが現実なのだと思っていたのですが、もしかしたらそれらの躾、矯正そのものが、実は非現実的、虚構だったのではないかと。なんだか上手く言えませんが、親たちも「理想の家庭を作る」という「虚構」を、現実と勘違いしていたのではないかと、そう思えるのです。「家庭内総合幻想」?とでも、いいますか?そしてわたしは「家庭内総合幻想」から逃れるために、SFとファンタジーに、走るわけです。ふう。
       
                                 河出書房新社前掲書



そうですか、そうですか。


どっちが強く見えますか?




娘の恰好は20代の女性としてはかなり成金趣味です。
花郁悠紀子に描かせた原稿料で懐が潤っているので、
お母さんにも毛皮の襟巻を買ってあげたのでしょうか。




お母さんの証言


特別な方針は持ってはいなかったと思います。私が大正生まれですからね。
当時の大正のおばさんにとっては普通の教育方針だったのだと思いますけれど・・・。

中学校の頃に、おとうさんの転勤で大阪の吹田に引っ越すことになって、やはり向こうの学校のレベルは高くて、勉強についていけなくなってしまいましたから、ますます私たちは勉強、勉強と言うようになりました。



妹の証言

私の4つ下に弟がいるんですが、昔のことですから長男が跡継ぎということで、弟が大事にされて、娘3人は「あんたたちは好きにしてなさい」というふうに、いっしょくたに育てられたような気がしますね、

一番上の姉はすごく勉強ができて、小学校の頃にはいつも学級委員をやっていたんです。望都さんは絵は上手ですけれども、学級委員をやるようなタイプではないので、親に「お姉ちゃんは学級委員なのに望都子はどうして」みたいに言われて、癪なところがあったと思います。私は3番目で、要領がよかったものですから、姉ふたりを見ていて「私はこうすればいいんだ」と思っていました。ある程度勉強もしましたし、学級委員もやりましたので、親の受けは良かったんですよ。

「望都子は学校の成績が悪い」「望都子は失敗が多い」というキャラクターだったんですよ。」
ということです。たとえば家の中でお茶碗が割れる音がすると「あ、望都子だ」と(笑)。

                                 河出書房新社前掲書






インタビュー全体を通じて私が感じた印象は、
萩尾望都のお母さんは娘のために偽証をしているけれども、
それと同時に人様から預かった娘さんのために心を痛めている。
そういう配慮を持っている人だということです。
却ってそういうマトモな神経を持っていたために娘から疎まれた。
インタビューの端々にそういう痕跡が見られます。
その顕著な例が世界支配層が萩尾望都をお払い箱にして、
花郁悠紀子と佐藤史生を表に出そうとしていた時期です。


1976年『ポーの一族』『11月のギムナジウム』で萩尾望都に賞を与え、
それと同時に、親族で会社を興すよう異例の申し渡しをした時のことです。



浩 そうですね。私も月に何度も東京に行っていましたからね。というのも、『ポーの一族』で小学館漫画賞をいただきまして、その際の表彰式に家内とうかがったのですが、そこで小学館の方から今後のことを考えて会社組織にしたほうがよいのではと言われました。その実務経験が私にはありましたから、会社を興す手続きを行うなど、もとこと一緒にいる時間が多かったですからね。
       
                                 河出書房新社前掲書





次のお母さんの発言の前半部分は予め示唆されたものかも知れません。
三島由紀夫の虚像を証言した平岡夫婦の作り話とよく似ています。
後半部分、しかしお母さんは娘が何をやっているか明らかに知っている。
知っていて胸を痛めているのが分かります。



淑子 中学になって神と鉛筆を取り上げて絵を描くことを禁じ、漫画家になることも最後まで反対した私たちのことが、ずっと心の中に残っているんでしょうね。いつまでも、うらまれています(笑)。それと、会社を興すことになってから、お父さんだけではなくて、私も向こうに度々行っていたのですが、そのときに人の子を預かっているからという気持ちからアシスタントの子たちに細かいことも注意していたのですが、そのときもひと悶着ありましたね。

                                 河出書房新社前掲書




お母さんは自ら悪者になって娘を庇っています。
子を持つ親の立場から花郁悠紀子と佐藤史生に因果を含めたのでしょう。
そんなことを続けていたらあなた方の将来はどうなるのか。
それを萩尾望都が激怒してひと悶着起きた。お父さんも娘の味方をした。
この親子の場合は「お母さんVS父と娘」という対立構図になっています。



浩 そうですね。私も月に何度も東京に行っていましたからね。というのも、『ポーの一族』で小学館漫画賞をいただきまして、その際の表彰式に家内とうかがったのですが、そこで小学館の方から今後のことを考えて会社組織にしたほうがよいのではと言われました。その実務の経験がw他紙にはありましたから。会社を興す手続きを行うなど、もとこと一緒にいる時間が多かったですからね。
       
                                 河出書房新社前掲書
                             



お父さんの発言を見ると多分この人は娘の詐欺行為を何とも思っていない。
マンガのことも一切わからないし、娘に対しても横暴な言動を吐いていますが、
その『名声』だけは心から誇らしく思っている。この親にしてこの子ありです。




浩 (前略)・・・その新聞には萩尾望都の記事が顔写真とともに掲載されておりまして、それはそのとき東京に出てくる際に福岡から乗った飛行機の中に置かれていたもので、スチュワーデスの方にお願いしていただいたものです。そのときも「萩尾望都さんのお父様でいらっしゃいますか」と、入れ替わり立ち替わりスチュワーデスの方が私の席に来られましてね、ほかの乗客からは「そんなに女性にもてる顔でもないのに」と不思議がられたと思いますが、そうして手にいれていた新聞を見せると、その所長は・・・(後略)
                                 河出書房新社前掲書




一方お母さんはというとそんな『名声』はうれしくない。そこには何の実体もないわけです。
だから「マンガを描かなくてもキャラクターグッズで食べていけるんだ」と説得しています。
本人に面と向かってそれを言って怒られても諦めきれず、妹を通じて説得を試みているようです。




当時『とってもしあわせモトちゃん』というギャグマンガを描いていたんですが、親は、「これをキャラクター化して売り出せば、漫画なんか描かなくても食べていけるじゃない」と思っていたようです。うちの母親は、そういう商才がある人なんです。でも望都さんはそういうことが嫌いで、大ゲンカしてました。それでまた母親が私に言うんですよ。「漫画なんか描かなくたってこれで一生食べていけるのに、なんでモーちゃんはわかんないんだろうね」って。間にはさまれた私は大変ですよ。              (河出書房新社前掲書より妹のインタビュー)





お母さんはインタビューの最後でも、
娘が別の道を行くように希望しています。
いくつになっても子を思う親心です。




淑子 最後には、劇作家のようにもなってほしいと思っています。「まだ言うか」って、もーちゃんには言われますよね(笑)

                              河出書房新社前掲書






この写真のお母さんはインタビューを喜んでいるように見えますか?

 
                         河出書房新社前掲書





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