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従軍慰安婦問題5 煽動者の系譜

Eine Rede von Adolf Hitler (アドルフ・ヒトラー氏の演説)
http://www.youtube.com/watch?v=hHOBS1QUIak


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グイド・クノップ著『アドルフ・ヒトラー五つの肖像』高木玲訳 原書房より



プロパガンダというものは、大衆的でなければならない。めざす相手のなかで最も知能が低いものの理解力にあわせて、知的水準を調整しなければならない。したがって、プロパガンダの純粋に知的なレベルは、狙った人間の数が多ければ多いほど低くしなければならない。               アドルフ・ヒットラー
                                                                      
                                     



自ら告白するところによれば、プロパガンダの影響力を行使するあらゆる方法をマスターし、「この技術の名人」を自認するまでに、彼は二年の歳月を要したという。



壇上での激昂がいかに自然発生的に見えようとも、長々とした弁舌がいかに淀みなく湧き出るように見えようとも、公衆の面前に現れるときには、苦労して覚え込んだ振付にきわめて正確に従っていた。一見激しい興奮に動かされていると見えるしぐさも、猛り狂って流れ落ちる言葉も、自然発生的な感情の爆発であることはめったになく、入念に練習を重ねたポーズだった。


ヒトラーは汝官も鏡の前に立ってはしぐさや表情を吟味し、そこに新たなヴァリエーションをくわえていった。専属写真家ハインリヒ・ホフマンに練習時のスナップ写真を撮らせ、特筆すべき徹底性とあきらかにナルシステイックな自尊心でもってそれを研究し、もっとお効果的なポーズを見つけ出した。握りしめた拳、警告するように突き出した人差し指は、あるときは聴衆に向けられ、あるときは天を指す。両腕を広げた姿は神官のようだ。









「ヒトラーは全身を映す鏡の前に立ち、一節ずつ語りながら自分の姿を注視した。身体の動きと顔の表情を研究した。結果に満足するまで、言葉と身振りを何度もくりかえした。ときおり側近の方を向いては、『これで良いかね、ホフマン』とか、『どう思う、リンゲ。これで集会に出られるだろうか』などとたずねることもあった」


また、ヒトラーは訓練して声の幅を広げ、柔らかな弱音から耳をつんざくフォルテイッシモまで繰り出そうとした。生来の高く済んだ声を無理に低くして、よく響く、男らしい印象を与えようと努めた。また激昂する場面では、裏声になるようにわざと声をからして怒鳴った。この技法を彼は演説の直前まで控室で練習したため、たまたま隣室にいてそれを聞いた人がひどく驚くこともあった。


「護民官」を自認したヒトラーの、力の源泉は聴衆であった。群衆との相互作用を得て初めて、人を心服させずにはおかない彼の力が覚醒した。その際、聴衆を論理的思考で説得することなどヒトラーにはまったくどうでもよかった。彼の望みは聴衆の感情を味方につけることだった。そしてこれは何よりも方法の問題であると確信していた。ヒトラーにとって人間とは、集まって群衆になったときには本能にしたがう動物の群れでしたなかったからである。


ヒトラーの著書『わが闘争』には、自分を崇拝する人々を彼がいかに軽蔑しぬいていたかを驚くほどあけすけに証言している。



「大衆の圧倒的多数はじつに女性的な性質と考えをもっており、冷静な思慮よりもむしろ直感的な感性によって思考と行動を決定する。(中略)女というものは、抽象的な理性よりも、むしろ自分を補ってくれる力に対する不可解な感情的憧れによって精神の感覚を決定し、それゆえに弱者を支配するよりも強者に屈服することを好むものだが、大衆もそれと同じで、懇願する者よりも支配する者を愛する。(中略)こうして大衆は、目的意識の明確な発言のみ、容赦ない力と冷酷さを見出し、最終的に屈服する」


 


こうしたマッチョな全能幻想を支える理論を、ヒトラーは当時人気のあった社会心理学の文献に求めたが、なかでもギュスターヴ・ル・ボンはフランスの医師で、その著書『大衆心理』は彼の代表作である。一人前の個人が群衆のなかに埋没したとたん操縦可能な共犯者になるさまを、同書は印象的に示唆していた。大衆の中の人間はある種の催眠状態にある。大衆の心を奪うすべを心得ている権力者には、これはじつにたやすいことである、と。


 


新たなメフィストが描きだすこの危険な絵に、ヒトラーは夢中になった。ヒトラーにとって大衆は、自分の政治的ヴィジョンを形づくるための原料だった。彼は大衆を従わせるためにこの手法をマスターしようとする。



「無関心から引きずり出すことができなければ、大衆を導くこともできない熱狂した大衆だけが操縦可能になる。無関心で鈍感な大衆は、すべての共同体にとって最大の危険である」


したがって、ヒトラーは合理的な論理のもつ説得力に重きを置かなかった。彼が重視したのは熱情を解き放つことだった。メッセージはわかりやすくなければならない。人の洞察をうながすのではなく、人の印象をかちとればよい。そのためにヒトラーが重きを置いたのは、あらゆる宣伝に共通する原則だった。すなわち単純な主題を判で推したようにくりかえすことである。



「大衆の受容能力はきわめて限られている。理解力は乏しいが、そのかわり忘れっぽさは抜群だ。この事実からすれば、有効なプロパガンダというののはすべて、ごくわずかな論点のみを限定し、その言葉をスローガンとしてくりかえし活用しつづけなければならない。こちらの望むことを一人残らず確実に思い浮かべるようになるまでそうするのだ」


一九二九年一〇月、ニューヨーク株式市場の暴落をきっかけに、連載反応によって銀行が、企業が、農場が破産し、失業者が爆発的に増加した。抵抗力の弱まっていたアイマール共和国が、最終的に死に体となったときである。一九二八年に一三〇万人であった失業者は、一九三二年には六〇〇〇万人にまでも跳ね上がった。社会から脱落するという恐怖に駆られて、多くの人がよりどころを求めた。極右の無法者集団を率いる指揮官が、「国民の意志」を体現する存在へと昇格した。


自分のアジテーション能力をできるだけ広範囲に発揮するために、ヒトラー一行は飛行機をチャーターし、一週間で二一の街の集会へとかけつけたのだ。そこではしばしば五万人を超える物見高い人々が彼を待ち続けていた。これによって彼の行動範囲は既存の尺度を打ち破ったばかりではない。最新技術と神秘のオーラがヒトラーを包むことにもなった。照明を浴びた飛行機が、待ち受ける国民の上へ夜空から舞い下りるとき、奇跡の救済者というメッセージが具体的な形をとって現われたかに見えた。旗の行列、行進曲の響き、光とシンボルの饗宴、厳かな期待、群衆のあげる「ハイル」の叫びが、祭りのような体験を一層高揚させた。



覚醒した気分と、満足感と、共同体感覚に、人々は夢中になった。何時間かの間、健全な人間の理性を喜んで殺した。約束された再出発を、経済的混迷の解決を、傷つけられた国家の救済を信じたがった。というより、これ以上自体が悪くなるはずがない、そう自分に言い聞かせたのかもしれない。「一度この男にまかせてみろ」。危機のまっただなかにあって、現政権には打つ手がない。議会制度は麻痺している。人々の間に無政府感が広がっていた。これらのことが、若くダイナミックな印象をあたえるヒトラー運動の陣営に、有権者の大群を追いたてていった。





以上抜粋。





ハロルト・シュテファン『ヒトラーという男 史上最大のデマゴーグ』滝田毅訳 
講談社メチエより写真転載



1歳半頃 
 
近親相姦の家系 父親は厳罰主義




リンツ科学校時代  最後列右端





第一次世界大戦当時 
 
オーストリア人でありながらドイツ兵として戦う



ヒトラー一等兵

鉄十字勲章を授与される





1919年スカウトされた当時 
 
すでに演説の名手として頭角を現していた



1933年政権奪取
 
『わが闘争』のポートレイト




1935年
 
役柄が板に着いてきている




1937年ニュルンベルク党大会に向かうヒトラー一行
 
向かって右後方 師匠ルドルフ・ヘス
向かって左後方 ハインリヒ・ヒムラー





「最終的解決」を暗示
 
入念な練習による振り付け





以上転載。







ヒトラー語録
http://www.youtube.com/watch?v=5pNUOkRfWFs

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