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カルト言論犯罪集団4 続 鬼塚英昭と中田安彦の共謀プロパガンダ


では前回に引き続き、中田安彦による鬼塚英昭『日本の本当の黒幕』の書評を見て行きましょう。今回は浜口雄幸、井上準之助、団琢磨の暗殺の背景にあった、「金解禁」及び「ドル買い詐取」に焦点を当てます。鬼塚英昭と中田安彦による共謀プロパガンダの眼目は、田中光顕を日本の本当のフィクサーにしたのが三菱財閥である、というトンデモです。鬼塚英昭は本書で次のように述べています。





鬼塚英昭『日本の本当の黒幕』より
「金解禁について書くことにする。前に一度書いたが、私はこの問題を追及する本を書こうとし、三菱について調査しているうちに主題を田中光顕に移したのである。」






なるほどなるほど。では鬼塚英昭がどれほど金解禁について調べ、どのような思考回路によって田中光顕と三菱がフィクサーであるという見解を持つに至ったのか。その要旨を抜粋すれば次のようになります。






「浜口内閣の成立後の七月九日、『十大政綱』なるものが発表された。その一つが、幣原米英協調外交であり、ロンドン軍縮交渉であった。もう一つは『財政の整理緊縮』、すなわち借金財政の改善であった。そのために『金解禁断行』を井上準之助は訴えた。この井上準之助の金解禁政策には伏線があった。それはその約一年前に経済紙『ダイヤモンド』(昭和三=一九二八年八月十五日号)に掲載された山室宗文(三菱銀行相談役)の論文であった。三菱の政府に対する要望書に他ならなかった。



『三井、三菱、住友、第一、安田の五大銀行は要するに、金解禁で、日本から金が海外に出て行けば円安・ドル高になるので、海外(アメリカ)からドルを大量に買い入れ、その差で大きな利益を得ようとしたのである。彼らの思惑は見事に当たった。』



三菱は金解禁の再禁止を狙って安達謙蔵を動かし、民政党から政友会へと政権を移す。よって彼ら財閥(三菱、三井、住友、第一、安田)はドル買いで大儲けすることになる。(引用者注 鬼塚英昭が書いた順番に注目)



長幸男の『昭和恐慌』(一九七三年)からの引用である。



『それは巨大なる投機であった。日本の円の相場が下がり、アメリカのドルの相場が上がるのを見越して、三億円からの円を売り、ドルを買った。金再禁止の結果、円の相場が二割下がれば六千万円のもうけになる。今は二割以上下がった。ドルを買っておいて、さてそのもうけを握るためには、政府をして金再禁止を行わしめなければならぬ。しかるに民政党内閣は断じてそれを行わぬ。政府をして金再禁止を行わしめるためには政変を起こす必要があった。果たして政変が起った。政変の結果として出現した政友会内閣は、就任式の当日金再禁止を行った。」(鬼塚英昭『日本の本当の黒幕』より)






ダントツに儲けたのは三井だというのに、鬼塚英昭が三菱、三井の順にしているのが笑えますね。ド素人の私から見ても安直なプロパガンダだと思いますが、中田君は『ジャパン・ハンドラーズと国際金融』という著書を出したり、同名のブログを開いたりするくらいのプロの金融評論家でありながら、この辺は完全スルーしています。中田君、金解禁、ドル買いの裏には、上海事変という名のヤラセが関係しているんですよ。


ほら、中田君たちSNSIは、上海事変を拡大した張本人は米内光政である、という海軍悪玉プロパガンダの劇画本を濫造して、会員に売り付けていたじゃないですか。副島隆彦が案内役としてマンガに登場してたアレです。米内の顔がデフォルメされて本当に悪魔みたいな顔になってましたね。金解禁、ドル買いについては私も少し勉強したので、僭越ながら参考資料を添付します。







「一九二七年七月に緊縮政策論者の浜口雄幸が総理大臣に就任し、井上準之助を大蔵大臣に迎えるまで、日本は金本位制に確実に復帰すると決めていたのではなかった。しかしながら、一九二〇年代に金融界の指導的立場にあった人々の間では、日本は世界の『主要国』のなかで金本位制に復帰していない唯一の国であり、できるだけ早期に金本位制に復帰すげきであるとの共通認識があり、ほとんど全員が、その際には旧平価で復帰すべきであるとしていた。



一九二〇年代における日本経済停滞の原因の一端は、指導者層のほとんどが旧平価での金本位制を待ち望んでいたという点に帰すことができよう。




浜口は、金融財政政策を担当する大蔵大臣に党外から井上準之助を招聘した。井上は、一九二〇年代初めと一九二七年の二度にわたり、日本銀行総裁として高橋(是清)を助け、倒産の瀬戸際にあった企業を救済し、入閣を要請されるわずか10日前には、今金解禁をすることは、『肺病患者にマラソンをさせるようなものだ』と公言していたにもかかわらず、である。




井上はなぜ、二週間足らずの間にこのような劇的な転向を行ったのであろうか。後世において井上の古典派的な経済政策を高橋のケインズ主義的は考え方を対比した論じた著作は数多いが、一九二九年七月に大蔵大臣になるまでの井上は、高橋と同様に『緩和政策』を志向しているとみられていた。均衡予算の信奉者であった浜口がなぜ、金本位制復帰を目指す大蔵大臣への就任を要請したのだろうか。そして、井上がなぜこれを受け入れたのだろうか。」(リチャード・J・スメサースト『高橋是清 日本のケインズ‐その生涯と思想 』鎮目雅人・早川大介・大貫摩里 訳東洋経済新聞社より)








で、鬼塚英昭が本書で何回も引用するバーガミニは、何て言っているかというと・・・・







「日本軍奉天占領五日後の一九三一年九月二三日水曜日の午後、裕仁の重臣中の筆頭、木戸侯爵は、彼の仲間の重臣たちの十一回の面面を、アメリカ大使館のある一角の下屋敷に迎えた。・・・・客たちはすべて、スパイ活動の上級の工作者であり・・・その第一の案、すなわちドル買いは、西園寺自身の家にいる秘書兼スパイ(引用者注 西園寺公望を監視するスパイ)、原田(熊雄)男爵によって仕組まれた。




ドル買いとは、日本の財界に大量の賄賂を供給するために計算された記念碑的な楽に達する投機的公金費消であった。二日前にイギリスが思いがけなく金本位制から離脱したとき、自由市場でのポンドの価値は二十%下落した。日本の銀行家の計算によれば、彼らの保有英資の突然の減価によって、彼ら全体で二千二百万ドルの損害を受けた。



十一会(木戸幸一主宰)の会員で高等財政学に明るい者は、金本位制の放棄を宣言する前の数カ月間に慎重に円を売っておけば、一億ドルの利益の還流は堅いと算定した。



政治に通じている者は、これだけの額があれば、首相製造人西園寺から主要な支柱を奪うことが十分可能なだけの賄賂になるとみなした。





その後、財界からこの利益を取り戻すことも、彼らの投機を世論に暴露すると脅すことでできそうに思われた。




ところでこの三井財閥は、伝統的に政友会の候補者の殆どの運動資金を出している。とすれば、三井に、三箇月以内の政友会内閣の任命と、日本通貨の金交換停止に対して裕仁から前もって承認をとりつけておくことを、約束したらどんなものだろう。



西園寺による目睫に迫った政治的危機が回避されれば、他の財閥も利権の分け前にあずかってもよかった。政府の横浜正金銀行自体もドル買いに加わることができた。国家財政はどのような観点からみても潤うと思われた。そして裕仁も満足するであろう。




西園寺は、死んだ弟の住友の京都邸にあるかぎり、住友財閥の重役たちに影響力を振い、ドル詐欺の片棒を担がないように説得できる立場にあった。




それだけではない。西園寺の配下の一人‐黒龍会に所属していた宇野田夫[清征]というボヘミアン的な芸術家‐に『日本』という新聞に投書させ、牧野内大臣の不当行為を名指しで非難した。




秘書兼スパイの原田は、西園寺のあからさまには云わない脅迫を宮中に報告するために東京へ急いだ。




二日後の十月八日、彼は、西園寺はただちに上京し国民的統一の体裁を保持すべしという天皇の要求をたずさえて、京都に戻った。北からの急ぎ旅の途中で、原田は、重臣筆頭木戸、牧野内大臣、葉巻好きの道教家鈴木貫太郎侍従長と会った。




彼は、最大の財閥三井が誘惑に負け、一億米ドルをドルの思惑買いに投下したという知識を仕入れて京都へ帰着した。



三井が国際金融市場において相場を下げつつあるドルの大規模な投機買いに乗り出したことによって、西園寺が望みを託していた財界も既にくつがえされてしまった。他の財閥も詐欺的な買いに入りつつあった。




彼らがためらった場合には、裕仁は金本位制の保持を準備していたし、三井を破滅させ、国を経済的混乱状態に投げ込む準備もしていた。すなわち、彼らが賄賂にとびついた場合には、何百万のもうけを保証されたし、西園寺を支持する場合には、何百万もの損害を保証されたのである。」デーヴィッド・バーガミニ『天皇の陰謀』より)








暗躍したメンバーの中に田中光顕は登場しません。ドル買いの主役も三菱ではなく三井です。そして鬼塚英昭はいい加減な金解禁、再禁止のプロパガンダを吹いた後で、すぐに小沼正の考察に移ります。








(鬼塚英昭の前掲書の続き)
「井上準之助は昭和七(一九三二)年七月二日、小沼正に射殺される。小沼正について書くことにしよう。・・・私は小沼正の本を読みながら、この心やさしい青年がどうしてテロリストになったのであろうと思い続けた。彼はまた『金解禁』についても書いている。


『それより先、政府はすでに金解禁に備えて、産業の合理化を叫んでいたので、待朕は政治の犠牲となった失業者が大量にあふれた。だれのための金解禁なのか、国民はさっぱりわけがわからなかった。』


小沼正は修業を続けながら農村を回ってワカメの行商に出る。『昔から大利根をはさんで常陸、下総の一帯では、田植えどきには、必ずワカメを食べる風習があった』と彼は書いている。そのワカメを買って食べる金さえないのだと彼は農村の風景を描いている。・・・私は小沼正の井上準之助の射殺の原因を、この行商の中に発見する。井上日召や田中地学の日蓮の言葉の中にその原因を見ない。」





では鬼塚英昭が本書で再々引用するバーガミニは、小沼の人間性及び動機についてどう見ているでしょうか。バーガミニは、小沼正による井上準之助暗殺の動機とその背景について、井上準之助はドル買いの詐取に協力したまでは良かったのですが、それを八百長戦争のために還流させなかった咎により暗殺された、と匂わせています。そして、三井財閥総帥団琢磨が暗殺された理由もこれとほぼ同じであると。





「小沼に割り当てられた犠牲者は、前大蔵大臣井上準之助であった。彼ら殺されなければならない理由はいくつかあった。三井財閥と組んで、ドルによる詐取のためにドルを書く最初の準備に当たったことがあげられる。



彼は、ドル買いという考えの発祥の地が宮廷であることを知っていた、数少ない日本人の一人であった。しかも、財閥から無理矢理その利権の適当な部分を国家のために還流させることに協力しなかった。



そして結局は、誰かが強情な財界にたいするみせしめとして暗殺される必要があったのである。暗殺者小沼は、拳銃を練習し、最終的な命令を待ちながら二日間を費やした。



この間の二月七日土曜日に、日本陸軍は、上海に一万名の混成(第二十四)旅団を上陸させて、戦闘中の海軍の救援に駆けつけた。裕仁は、上海に出張中の日本外交官に宛てて、でっちあげ戦争が所期の目的を達成した場合には、できるだけ早急に休戦交渉に入れる準備をしておくように、という命令を発した。



翌二月九日火曜日午後の未だ早い頃、天皇裕仁は、彼の研究について語る者としては最も役にたたない一人の『講師』を御文庫に招いた。それは坂西利八郎予備中将であった。



坂西は長年中国における日本のスパイ網を指導し、血盟団指導者の井上教誨師の直接の上司であったこともあった。日本の民間スパイ機関の影の管理者のなかで、このごろ坂西は、おそらく大洗の常陽明治記念館の老蜘蛛・田中を除けばだれも彼の上位にいない第二の地位を占めていた。





坂西予備役中将はこの火曜日の午後二時に、裕仁との話を終えて外へ出て来た。その二時間後、血盟団の暗殺者小沼は、計画を進行させるように告げた井上教誨師からの伝言を受け取った。





午後七時に暗殺者小沼は、東京帝国大学から二町離れた角でタクシーを降り歩五、六歩足を運んだころ、突然頭が群衆の方へ傾いた。このとき血盟団の小沼が彼の後の見物人の列から飛び出し、老人の背後から三発の弾丸を発射したのだった。・・・井上準之助前大蔵大臣は殆ど即死の状態だった。




暗殺者はそのまま交番に連れて行かれたが、そこでは、異例の親切な扱いを受けた。そのため、彼が数か月後に裁判の法廷に姿を現したときには、健康を絵に描いたような顔色をしていたほどである。」








(鬼塚英昭のプロパガンダを補完している中田君の書評)
 「さらに、右翼暴力団を使って田中光顕はすきあらば牧野伸顕を暗殺しようとしていたようだ。当時、すでに、血盟団事件(1932年2月~3月)に井上準之助、団琢磨などの三井の要人暗殺があり、血盟団事件の第二弾として、1932年5月15日には三井財閥系の犬養毅首相の暗殺が首相官邸で行われた。そういう時代に、田中光顕が牧野内大臣暗殺を目論んでいたと、木戸幸一は警視総監からの情報として記している。」







私は木戸のガセネタだと思いますが、もしその情報が本当で、田中光顕が牧野伸顕の暗殺を目論んだとしたら、それは『日本の本当の黒幕』が発注したからでしょう。もしそうでなかったら、牧野伸顕は田中光顕よりはるかに上の地位にいるので(大川周明と同格)、『日本の本当の黒幕』は指一本で田中光顕を抹殺させていたでしょう。警視総監とて同じことです。血盟団が受注した汚れ仕事は、木戸幸一たち宮廷グループから発注されているので、血盟団に暗殺やり放題にさせてあげているのです。







(中田君による鬼塚英昭のプロパガンダ補完続き)
「井上日召のような「昭和維新派」というのが、田中光顕・頭山満のような三菱マネーで育てられた裏社会の人間によって育成されていたのであり、単に昭和維新の背景に格差問題を見るだけなのは読みが浅いのだろう。





 鬼塚氏は、田中光顕が右翼を使って宮中の乗っ取りを画策していることについて、『西園寺公と政局』(一九三四年十二月三〇日)の記述を根拠としている。この日の日記には、「例の国家改造運動、即ち田中光顕とか内田良平とか頭山満などを看板にしてやる右傾の大合同の合理的国家改造運動」の話が出てくる。この中には大本教も入っており、この運動が「宮様内閣」を作る運動であることが述べられている。鬼塚氏は以下のようにこの日記の記述を更にわかりやすく解説する。

(引用開始)

 この運動が二・二六事件へと発展する。あの事件は青年将校たちの反乱と見るべきではない。「右傾の大合同」による宮様内閣(秩父宮首班)を目的としたものだった。田中光顕は、大日本生産党総裁並びに黒龍会主幹の内田良平、そして玄洋社の頭山満と内々に通じあい、大本教も含めた「右傾の大合同」の合理的国家改造運動を進めていたことが、この『原田日記』から理解できる。

『日本の本当の黒幕』(下)252ページ
(引用終わり)

 




要するに、2・26事件を「青年将校の思い」という視点で見ると大きく本質を見誤るということだろう。大本教という新興宗教も田中光顕の道具だったに過ぎない。明治維新のすべてを知る男、田中光顕は、宮中への影響力を保とうと、右翼団体まで動員して国家改造をしようとした。明治維新の立役者が、昭和維新の黒幕でもあったという身も蓋もない話である。感情的に暴走した若者をクーデターに駆り立てるのが黒幕の仕事である、ということを私はこの鬼塚本によって再確認した。」








中田君、君は鬼塚英昭が引用文献を明示しないことを云々していますが、明示している木戸日記も『入念』に『編集』された創作です。『原田日記』も同じ穴のムジナが書いたものです。連中は226裁判記録や獄中手記さえ捏造するのですから、日記の創作など当たり前にやっていますよ。また226の青年将校は幼年学校で純粋培養され、カルト思考を植え付けられた若者たちです。2・26の本質は南進政策すなわち戦争準備のためのヤラセです。経緯を丹念に見て行けば青年将校と軍部は忠実に命令を遂行しただけだということが伝わってきます。にしても言うに事欠いて『感情的に暴走した若者』はないでしょう。


満州事変の前後から始められた一連のヤラセの仕上げとして、2・26の現場には大川周明も馳せ参じています。国家改造運動の雄は田中光顕ではなく大川周明です。皇居の一画にある坂の上の満州王族の所有地に建てられた大学寮を運営し、次から次へと右翼団体を創設、陸軍軍務局長の小磯も張作霖爆殺の河本もアゴで使っています。







中野雅夫『昭和史の原点』講談社より
「大正十一年に、かつて老荘会にいた小尾晴敏が安岡正篤らと組んで皇居北の丸に『社会教育研究所』を設け、青年教育をしていた。大川は誘われてこの研究所で日本精神の講義をした。大正十二年の震災で大川の住んでいた鎌倉の常楽寺が焼けた。


大川は研究所に住み込んで、名称を『大学寮』と改名した。これを応援するものは八代六郎海軍大将(引用者注 尾張徳川家相談人)、宮内大臣牧野伸顕、荒木貞夫、渡辺錠太郎(引用者注 尾張徳川家相談人)らであった。



ここに陸軍少尉を病気で辞めた西田税が満川亀太郎の紹介できて、大川の同人となった。やがて猶存社の消散でちりぢりになっていた人たちが大学寮に集まってきた。大川はこれらの人たちにすすめられて、大正十三年四月に『行地社』をつくった。行地社の綱領は、一 維新日本の建設・・・その思想的根底にフランス革命の自由・平等・友愛の精神があった。」






トモダチ精神のことですね。ちなみに加藤高明も尾張徳川の相談人です。徳川宗家の意向を反映させるためでしょう、かの悪名高き治安維持法を可決した内閣の首班を務めています。なお宗家のマッチポンプの家風を反映すべく、徳川義親が貴族院で反対演説をして見せています。


鬼塚英昭が再々引用するバーガミニによる、と常陽明治記念館と護国堂はいわゆる大陸ゴロの巣窟、井上日召も元は中国でのスパイ活動をしていたゴロツキ、大川周明と北一輝と共に帰国した後は、スーパーバイザー大川周明&東久邇宮のもと、直接の指示は田中光顕から受けて血盟団を結成、これに元祖大陸ゴロ頭山満も加わった、という相関関係になっています。


中国にヤラセ革命を起こす役割においては北一輝、大川周明、頭山満、内田良平はトモダチです。井上日召は大川周明と北一輝のポチとして活躍した後に帰国しています。しかし鬼塚英昭&中田安彦コンビは、この視点を完全に欠落させたままプロパガンダを展開し、2・26に至る一連のヤラセクーデターの黒幕が田中光顕&三菱であるというトンデモに帰着させています。






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