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操作されるポチたち4~ネトウヨが信奉するカルト教義「植民統治による近代化」

例えばこんな動画が山のようにアップされ、同意するコメントが寄せられています。単純化された教義によるたカルト思考の典型と言えるでしょう。




韓国併合・劇的ビフォーアフター 일본 통치 시대 Before After
http://www.youtube.com/watch?v=5QZZZnPdaMM
patricianomanさんがアップロード


多くの日本人がいまだに「明治維新」とは「文明開化」だと思わされているからでしょう、親日台湾人を登場させて同じような幻想を振り撒く動画が見受けられます。(日本の場合は植民統治よりももっとタチが悪い。奴隷国家のカポーに収まった徳川宗家が、国家主権を売り渡したことを隠匿するために国民洗脳教育に励んでいる)



こういった動画が同音異口に唱えているのは、植民統治は「近代化してあげた」こと、「近代化」ってまったくエライもんだということです。暴力づくで人様の文化を破壊して、西洋式政庁やインフラ整備して、統治者が搾取するシステムを「近代化」と称し、本当に素晴らしいことをしてあげたのだという自画自賛です。


個人的な場合に置き換えて想像したらどうでしょうか。ある日いきなり侵入してきた連中にすべてを仕切られ、しかもそれを恩に被せられたらどうですか?


既出の記事で引用した周婉窈の著書には、日本による植民統治と近代化のもつれあった糸のような関関係を、被統治者の側の視点から考察している箇所があります。


植民統治されるということは、台湾人にとってアイデンテイテイと自主性を剥奪され、統治者の意識を自分のそれとすることだと。


以下に該当箇所を抜粋します(血涙の色)。


周婉窈『台湾の歴史』より


日本は近代化の発祥地ではなく、全世界の近代化の源流は唯一つ、すなわち西欧と北米のみである。このため日本の明治維新は、その大部分が西洋化運動であり、当時の日本人はこれを「文明開化」と呼んだ。日本が台湾で推し進めた近代式の統治や建設などには、もとより日本文化の特色を帯びてはいるものの、基本的には一種の二次的な「西洋化」であった(統治の最後の8年の「皇民化運動」はまた別の文脈の産物である)。台湾において近代化というのは、日本化ではなく、「文明化」であった。植民地当局が「日本風生活」を強調するようになるのは、統治末期のことであった。


台湾の近代化が西洋化を内容としていたことをもっとも具体的に示すのは、植民地建築にほかならない。日本統治時代から残された建造物として、ふつうによく知られているものには、総統府・台湾賓館・台湾大学付属病院・台湾銀行・省立博物館等がある。これらはずべて西洋式建築である。日本植民地当局が台湾で建てた建築物は、西洋式と日本式の2種類に分けられる。主要な官庁建築、中等以上の学校、病院、銀行等は、大体西洋式である。



もし神に似せて人間が作られたとしたら、植民地宗主国もまた、自らに似せて植民地を造成していたと言えるかもしれない。しかしながらこの点に於いて日本は少し特別であった。明らかに、日本は自らに似せて植民地を造成したのではなく、西洋を模範としたのである。



植民地化、それは植民地宗主国が制度と政策を通じて被植民者を劣位に置くと同時に、宗主国の利益を追及する道具とすることである。そこには、経済的搾取、民族蔑視、差別待遇等が普通に見られる。



日本は台湾を占領した後、土地調査・度量衡統一・貨幣統一や銀行設立等、近代経済の発展の基礎となる各種の措置を講じた。台湾の資本主義の発展は、国家の高度な保護を受け、その結果、労働者や農民改造の利益と権益に対する搾取は、厳しいものであった。



国家が工業・商業資本を保護することは、何も植民地に限った問題ではなく、一国内でも起こり得ることであった。しかし植民地においては、統治者と資本家は往々にしてともに支配民族に属していることが多いため、資本家による搾取はしだいに統治民族による被治者への経済的圧迫に転化することになる。


差別待遇と民族隔離政策もまた、往々にして植民統治のもっとも忌むべき特質である。その点では日本統治下における台湾も例外ではなく、一般によく知られる差別待遇は、同一労働に対する報酬の差等であり、政府から俸給を支給される在台日本人は、だいたい台湾人の5,6割増しの加俸を受けており、たとえば、同じように学校で教鞭を執っていたとしても、給与の差は2倍にも及んでいた。


民族隔離の問題では、早期の政策では、内=日本人と台湾人は通婚が禁止され、小学校段階の教育でも二重のコースが設定されており、日本人は「小学校」へ通う他、台湾人は「公学校」へ行くことが明確な原則となっていた。1929年代の初期には、日台間の通婚が奨励され、小学校段階でも教学制度に改められたが、非公式な民族隔離政策は引き続き存在していた。


台湾人児童が「小学校」に入学しようとしてもそれは容易ではなく、また人数制限があった。植民政府は台湾児童が小学校で学ぶことを奨励し、全児童の入学を最終目標としていたが、中等学校以上の教育課程においては厳しい制限があり、決して奨励せず、露骨な差別が見られた。



給料であれ、教育であれ、そこには明瞭な一本の境界線が引かれており、台湾人は被治者としての身分と地位をいたるところで意識させられたのである。基本的に、植民者と被治者は上下、主従の関係を構成し、植民者の優越感は被植民者を矮小化することで成り立っていた。



そこには一個の精神あるいは意識のレヴェルの問題、つまり被治者の植民者に対する「従属性subjugation」が浮かび上がってくる。このような関係性にあっては・・・しだいに自己と主体性というものを喪失してしまう。日本の台湾植民地化もまたこのようなレヴェルに存在していたのである。


前述したように、日本統治時代の小学校教育の内容は啓蒙的かつ合理的なものであったが、これは「コインの一面」であり、裏返しにして見れば、また異なる様相が見えてくるのであろう。日本人に従属する台湾人とすれば、自己というものはないのであり、ましてや自らの過去と言うも無駄である。


公学校に学ぶ台湾児童は、教科書の中で日本の文化と歴史を了解するが、しかし自分たちの過去についてはほとんど知りようもなかった。消え去らんばかりにかすんだ台湾の歴史は、わずかに日本史の脈絡の中に置かれて語られるだけだった。



彼らが正式の学校教育の中で学び得た国家アイデンテイテイとは、日本の国家アイデンテイテイにほかならなかった。彼らが自ら郷土と認めたものは、過去のない郷土であった。植民地の人民は近代制度や設備等を享受したが、一方でそのアイデンテイテイと主体性を剥奪され、植民者の意識を自らの意識としてきた。


以上抜粋


桜チャンネルのオジサンたちの言動を見るにつけ、我々日本人のアイデンテイテイと主体もまた、植民者の意識を自らの意識としてきた上に築かれた仮装ではないか・・・・という問いかけもなされるべきだと思います。
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