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majick68    この国のかたち『姦徒誅鋤』

今回のテーマは『姦徒誅鋤(かんとちゅういん)』です。聞きなれない言葉だと思いますが、明治維新以来この国を世界支配層に隷属させてきた、徳川宗家の過酷な施政方針を端的に表している言葉です。


『姦徒』は逆臣の意、『誅鋤』とは草をすきとって根絶やしにする、すなわち殺しつくす意で、徳川宗家が『革命』を遂行するときに用いる伝家の宝刀とも言うべきセオリーを指しています。


但し徳川宗家がこれを用いる場合は、『姦徒誅鋤』=『忠義を尽くした部下を逆賊扱いして、弊履のごとく使い捨てにする』に置換する必要があります。


徳川宗家の『姦徒誅鋤』の嚆矢は『錦旗』を掲げて幕軍に『賊軍』のレッテルを貼った『鳥羽伏見の戦い』です。最新式シャスポー銃を死蔵させて旧式の装備で進軍させ、しかも弾薬を込めさせない状態で狙い射ちさせ、これでもかと拙劣な作戦を用いた挙句に慶喜に敵前逃亡させて陣営を瓦解させ、無残な敗北に追い込んでいったヤラセです。


この総指揮を執ったのが尾張藩主徳川慶勝です。徳川慶勝は徳川斉昭亡き後の司令官で、徳川斉昭・徳川慶勝・松平春嶽は明治『維新』(世界支配層原案のヤラセ)を遂行した売国奴三人トリオです。これは売国奴という冠詞以外は徳川宗家の公式見解です。
徳川慶勝は『鳥羽伏見の戦い』で幕軍を『姦徒誅鋤』した後、取って返すその手で自藩の『姦徒誅鋤』を断行します。


尾張藩の公式記録『三世紀事略』では、徳川慶喜が大坂城から夜逃げした慶応四年一月六日のわずか十日後、徳川慶勝は朝廷から『自国の姦徒誅鋤ならびに勤皇の者誘引のため帰国を命ぜらる』となっています。この時すでに徳川宗家の傀儡たる明治天皇が擁立されていますから、これは朝廷の命令ではなく徳川慶勝自身の意向に他なりません。



そして『青葉松事件』と呼ばれる粛清が断行されます。尾張藩は御三家の筆頭で、諸大名の中で最も高い家格を有しているため重臣たちは佐幕派の忠臣で占められています。そこで慶勝は佐幕派の忠臣たる渡辺親左衛門、榊原勘解由ら十三名を切腹あるいは斬首に処します。この処刑が尾張藩に衝撃を与え諸藩を震撼させた結果、『錦旗』を掲げた東征軍がスムースに江戸に進軍することが出来たというカラクリになっています。


徳川宗家の命令で『昭和維新』を決行した226青年将校たちもまた、『姦徒誅鋤』されています。青年将校たちに虐殺させた重臣たちもまた『姦徒誅鋤』です。昭和天皇はもとより戒厳司令も憲兵隊も青年将校も、すべて徳川宗家が命じたシナリオ通りに遂行したという意味では仲間同士です。


徳川慶勝により『姦徒誅鋤』された尾張藩の重臣は斬首される時に「命は惜しくないから理由を教えてくれ」と言ったそうです。私は226青年将校もまったく同じセリフを叫んだと思います。彼らは形式上の聞き取りぐらいはされていたかも知れませんが、処刑されるその日まで何事もなく収監されていた、つまり軍事法廷など開かれずに処刑場に引き出されたのだと考えています。


軍事裁判資料などどうにでも捏造できる。連座した斉藤瀏や末松太平がガセネタを書いていないという保証はどこにもない。例によって工藤美代子がせっせとプロパガンダを書いている。



末松太平の自己申告は大蔵榮一の証言と突き合わせてみると辻褄が合いません。末松太平は非常に息の長いお仕事をされている方で、三島事件にも太田龍の『226全面開示』にも関与しています。


磯部浅一の『獄中手記』が捏造でないという保証もまたどこにもない。発見された前後のタイミングや関与した組織の面々を考えると、おそらく磯部浅一の獄中手記は『百年後に公表するための226裁判資料』と同じような捏造資料でしょう。これを書くことができる人物は大岸頼好しかいないでしょう。前述した末松太平こそは大岸頼好の監視者です。



真相が闇から闇に真相が葬り去られて80余年、尾張徳川の旧藩士である小川裁判長が密かに旧主徳川義親に裁判資料を渡し、徳川黎明会に所属する林政史研究所が保管している『百年後に公表するための226裁判資料』が存在しているそうですから、20年後には『真相』が発表されるのかも知れませんが、それは『姦徒誅鋤』した青年将校を100年後にリサイクル活用するための『裁判資料』に他なりません。


それは
『錦旗革命』の三番煎じ―一番煎じが明治維新、二番煎じが昭和維新、三番煎じは秋篠宮が践祚した後に起こす予定でしょうか―を企図して準備されたものかも知れません。


太田龍『226真相全面開示』の動画はそれを裏付けています。山口富永と落合莞爾が太田龍に吹き込んだ『真相』は、かつて山口富永青年が真崎将軍に発した「この国に天皇はおられるのでしょうか」という問いに真崎将軍が真摯に答えたというものですが、この問答は『磯部浅一獄中手記』のセリフを元ネタとして作られたものです。


226事件関係者で連座したのは真崎将軍、斉藤瀏、石原広一郎、末松太平、大倉栄一(全員徳川宗家のコネクション)ですが、資金提供をしていた石原広一郎が差し入れ自由のムショ暮らしをする一方で、真崎将軍は徳川宗家の人物評「陰湿でシツコイ野心家のポチ」の通り、青年将校をさんざん焚き付けておいて途中でトンズラをこく悪役に使われています。


それを『真崎将軍の名誉回復こそ急急務である』と太田龍に吹聴しているのが落合莞爾&山口富永で、その後ろに控えているのが末松太平という構図になっています。
彼らの狙い目としては、太田龍の晩年のライフワークとなった『ユダヤサタニスト』、そのユダヤサタニストの言いなりにならなかった唯一の人物が真崎将軍である、逆に最優秀のエージェントであったのが昭和天皇である、バーガミニはこの禁忌に触れて作家生命を抹殺されたのだ、そう言って太田龍を鼓舞させることですが、これは確かに効いた。


その成果は『226真相開示』に現れています。つまりこの動画はためにするガセネタで出来ている。某巨大掲示板に私が投稿した動画紹介記事を読まれている方には大変申し訳ありませんが、これは全部ガセだということで悪しからずご了承ください。



太田龍の晩年のライフワークとなった『ユダヤサタニスト』は、デーヴィッド・アイク、ユースタス・マリンズ、フリッツ・スプリング・マイヤー、コールマン博士、これら世界支配層のヒモ付きたちが寄ってたかって太田龍に吹き込み、援護射撃として小石泉牧師を使って『アメリカ炎上』のシナリオを喧伝させた影響が与かっています。



アメリカを『炎上』させた後、中国に覇権を移すシナリオは確かに存在していましたが、1998年に企図されたそれは2006年に至って劇的に変更されています。小石泉牧師は変更する前のシナリオに基づいて書いている。副島隆彦や鬼塚英昭も変更する前のシナリオを貰って書いています。


『226の真相全面開示』に話を戻しますと、太田龍の『226真相全面開示』の動画を見ると、バーガミニが『京都皇室』すなわち徳川宗家と直接に交渉していたことを見て取ることが出来ます。


太田龍 二・二六事件の真相、全面開示 (1/14)
http://www.youtube.com/watch?v=bxpAeRC6rvQ



バーガミニが抹殺されたのは昭和天皇の禁忌に触れたからではなく、太田龍が漏らしたように、大正天皇が『京都皇室』に反旗を翻すべく革命を企図して未遂に終わった経緯に言及したためだと思われます。当時はまだ堀川政略の機微に触れることは最大のタブーだったのでしょう。バーガミニは日本語版『天皇の陰謀』いいだもも訳の冒頭で実に意味深なことを述べています。



『京都で日本のテレビを聞いていると・・・・「三島由紀夫が書くことを恐れているのであれば」私はひとりごちた。「私はそれをやらなければならないだろう・・・」』



私は最近になって漸くこの意味が理解できるようになりました。『英霊の聲』の次は『天皇の陰謀』が書かれる予定だった。つまり原案が存在していたのです。


226青年将校と特攻隊員のための巨大なる『怨恨の書』を書き、その後『豊穣の海』でノーベル賞を貰って箔を付け、然る後に本格的に昭和天皇の批判を展開する。野坂昭如の『推測』通り三島由紀夫が有栖川宮の血を引く末裔であるならば、同じく有栖川宮家と閨閥を結んでいる徳川宗家とは身内同士ですからハードルはそんなに高くない。『家畜人ヤプー』―この徹底的に日本人を侮辱したエログロを世に出す仕掛け人の一人が三島由紀夫であったことを想起すれば、そういうシナリオが存在していた可能性は高い。


しかし島由紀夫は『英霊の聲』を書いたものの、さすがに『天皇の陰謀』を書く勇気はなかった。三島由紀夫が『英霊の聲』を書いたのは自分のためであって、226青年将校と特攻隊員に対する思慕と鎮魂のためではなかったからです(これは複数いる三島由紀夫の構成員の中で表に出ている平岡公威の話です)。


従って
三島由紀夫が覚悟を固める意味でせっせと遺書を書いていたと私が書いたことは全くの誤りということになります。226青年将校に対する気持ちが商取引に裏打ちされていたことを思えば、楯の会のそれも憂国の志よりも名誉欲の方が勝っていたと考えざるを得ません。


ノーベル賞受賞を逸機した失意の時に、田中清玄に使嗾された平泉澄門下生の持丸博や『生長の家』の信者たちが三島由紀夫に近づき、挟み撃ちの恰好で米軍特殊戦基地フォートブラッグで心理戦の訓練を受けた山本舜勝が罠を仕掛けまんまと絡め取っていった。


しかし決起する直前に複数の知人に事前にリークしてクーデターが頓挫するよう画策したのを見ても分かるように、三島由紀夫には決起の帰趨が如何様になろうとも死ぬ覚悟は出来ていなかった。否ずっと生きていたかった。


多分その本音を粉飾するために河野司と末松太平が送り込まれたのでしょう。末松太平は「士道を口にしていると終いには死ななければならなくなる」と三島由紀夫の死を暗示しています。



よって三島由紀夫『自決』のニュースが放映された直後、三島邸にいち早く駆けつけ、遺族・関係者に宛てた遺書一式が入った分厚い封筒を見つけた、と証言した湯浅あつ子はヒモツキ、その湯浅あつ子が『ロイと鏡子』でリークした三島由紀夫の『恋人』、その湯浅あつ子と組んだ岩下尚史の『ヒタメン 三島由紀夫が女に逢う時』は、瑤子夫人を貶めるためのプロパガンダということになります。私がこのプロパガンダを信じて取り上げたのは間違いです。


1919年のパリ平和会議(という名の戦争準備会議)が開催され、世界支配層から次なるシナリオを支持された徳川宗家が、3月事件、10月事件、満州事変、5・15、2・26を扇動していた―「右というも可なり左というも可なり」という近衛上奏文(これを近衛が上奏したかどうかは保証の限りではない)は本来そういう文脈で解釈されるべきであって、中川八洋、田母神俊夫、山口富永あたりが吹聴しているコミンテルンの陰謀ではありません。


明治『維新』以来、この国を形作ってきたものはそんな実態のないものではない。この国のかたちは『姦徒誅鋤』によって作られてきたのです。世界支配層の原案に基づいて。



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