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カルト言論犯罪集団6  続々 鬼塚英昭と中田安彦の共謀プロパガンダ

前々回の満州事変における『ドル買い』の補足をします。


リチャード・J・スメサースト著
『高橋是清 日本のケインズ その生涯と思想』
鎮目雅人・早川大介・大貫摩里 訳 東洋経済新聞社より(順不同)






 日本が両大戦間期の中間点で不況に陥ったのには二つの原因があった。第一に、一九二九(昭和四)年十月のニューヨーク株式市場の暴落に端を発した世界恐慌、第二に、その数か月前に日本政府が下した第一次大戦前の平価で金本位制に復帰するという決定である。


 他の多くの先進国や新興工業国と同様、日本も第一次大戦中アメリカに続いて一九一七(大正六)年九月に金本位制から離脱した。


アメリカは一九一九(大正八)年四月に交戦国として初めて金輸出を解禁し、金本位制に復帰したが、日本はこれに続かなかった。


 一九二二(大正一一)年のジェノア会議において、先進国すべてが金本位制への復帰を公約し、一九二九年までに日本をのぞくすべての国がこの公約を果していた。


 その後の一〇年間、日本の金融界で指導的な立場にあったほとんどの人々は、旧平価で金本位制に復帰すべきだと考えていたが、はっきりと意思表示するのを避け続けた。


一九一九年に原内閣の大蔵大臣であった高橋は、アメリカに追従して金本位制に復帰することに反対した。



一九二九年七月に緊縮政策論者の浜口雄幸が総理大臣に就任し、井上準之助を大蔵大臣に迎えるまで、日本が金本位制に確実に復帰すると決めていたわけではなかった。


 浜口は、金融財政政策を担当する大蔵大臣に党外から井上準之助を招聘した。井上は、一九二〇年代初めと一九二七年の二度にわたり、日本銀行総裁として高橋を助け、倒産の瀬戸際にあった企業を救済し、入閣を要請されるわずか一〇日前には、今金解禁をすることは、「肺病患者にマラソンをさせるようなものだ」と公言していたにもかかわらず、である。


 一九二九年七月に大蔵大臣になるまでの井上は、高橋と同様に「緩和政策」を志向しているとみられていた。均衡予算の信奉者であった浜口がなぜ、金本位制復帰を目指す大蔵大臣への就任を要請したのだろうか。そして、井上がなぜこれを受け入れたのだろうか。


 一九二九年から三一年にかけて、日雇労働者の賃金は、名目ベースで二七・五%、実質ベースで八・四%低下した。農業労働者の名目賃金の下落幅は、名目ベースで三・二%の低下であり、これを実質ベースに直すと二八・二%の低下となる。


 長く辛い準備期間を経て、日本は一九三〇年一月一一日に金本位制に復帰した。すると瞬く間に、金その他の準備資金が日本から流出しはじめた。


 一九三一年九月、日本と世界は、さらに大きな二つの衝撃に見舞われた。


 十八日夜から十九日の未明にかけて、本来は日本の租借地を保護するために満州に駐屯していた関東軍が、自ら保護の任にあたっていた南満州鉄道を爆破し、これを中国人「匪賊」(bandits)の仕業として、中国東北部の征服に乗り出した。その過程で、攻撃を計画し命令した関東軍参謀たちは、本国政府による作戦行動の統制への努力を無視した。


 それから二日後の二一日、第一大戦前は世界の金融システムの要であったイギリスが、金輸出再禁止に踏み切り、金本位制から永久に離脱することとなった。


 主要金融機関、とくに海外勢は、こうした状況を見て、莫大な利益を上げる千載一遇の好機と捉え、ドル買いを開始した。


 日本がアメリカより先に金本位制から離脱せざるを得なくなると考え、ナショナル・シテイ銀行、香港上海銀行、住友銀行、三井銀行、三菱銀行は、いずれも円をドルに換えた。彼らによれば、日本が金本位制から離脱する際には、ドルに対する円の価値は急落するであろう、ということであった。


 もし、現在の一ドル=二円の相場でドルを買い、後に一ドル=二円五〇銭かしれ以上に円安になれば、その時に円を買い戻すことで、多額の利益が得られる。一九三二(昭和六)年の一〇月から一二月にかけて、三億円以上の円が売られ、ドルに換えられた。


 一九三二年一二月一三日、高橋は五度目の大蔵大臣の職務を引き受け、すぐに井上の緊縮的な金融政策を方向転換するとともに、翌年夏に拡張的な財政政策を導入するための準備に取り掛かった。


 十二月十三日の午後三時に、日本銀行副総裁で、高橋にとっては一九〇四(明治三七)年から一九〇五(明治三八)年にともにロンドンに滞在していたときからの側近でもあった深井英五が、大蔵大臣の指名が確実視されていた高橋のもとを訪問し、以下のような政策の実施を進言した。


 第一に、日本は金本位制を離脱し、したがって、できるだけ速やかに金輸出を禁止すること。これは、可能であれば、天皇による新内閣の認証式が済んだら直ちに、その日の夕方にも実施することが望ましいこと。第二に、早急に、日本国内で通過を金に兌換することを禁止する緊急勅令を甲府する準備を進めること。


 高橋は、深井に会う前から、金本位制の離脱は心に決めていたが、兌換禁止については、ためらっていた。・・・深井は、その日のうちに再度高橋と面会し、金本位制からの完全な絶縁をもう一度主張した。


 深井の回顧でも触れられているこの二人のやり取りにおいて実に興味深いのは、経験豊富な中央銀行員としてインフレとの戦いに全力を注いでいた深井副総裁が、悪名高き「放漫財政論者」の高橋に対して、金本位制を完全に放棄し、管理通貨に行こうすることを提言し、高橋がこれに抵抗していたという点である。


 論争は、一九三二年一月二一日、二人の主役が論壇において「OK牧場の決闘」を行ったときに、最高潮に達した。その日、高橋は貴族院で演説を行い、これに対して井上が質問に立ち、さらに高橋がこれに答えた。


 貴族院議員たちは、高橋の演説に対して、三〇回にわたり拍手を送り・・・これに対して、井上の演説に対する聴衆の反応は、冷淡で敵意に満ちたものであり、拍手は一度も起こらなかった。


 高橋は、日本における恐慌の原因は、浜口と井上の「緊縮予算」にあるとして、論点を明確化した。高橋は世界的に採用されたデフレ的な政策によって引き起こされた世界恐慌は日本にも影響を与えたと付け加えたが、それでも日本の経済的苦痛は、主として民政党の政策によるものであると、改めて表明した。人々は、井上が一九二九年の夏に金本位制の準備を開始したときに、こうした危険性について井上に警告したのだが、彼は耳を貸さなかった。


 高橋は、前政権の政策によって、金融は閉塞状況に陥り、産業は衰退し、日本経済は不況のどん底に突き落とされたと結論づけ、「金の輸出再禁止は、国民の大多数をして総括的窮乏の苦悩より脱出せしめ、やがて産業を振興し、生活の安定に向かわしめんとする時局匡救の第一歩であると信じます・・・ひいて外国貿易上にも好影響を及ぼし、不況打開の曙光がここに現れたのであります」と結んだ。


 井上が、これに反論するために登壇した。・・・やや遠回しな言い方で、高橋と政友会の財政的な支援者たちを追及する姿勢を示した。すなわち高橋らは、経済復興のために金本位制離脱を提唱しているとしているが、真の動機は、彼ら自身が行ったドル買いによる利益を我がものとしたいがためである、というのであった。


 井上は、イギリスが金本位制を離脱した後に、大規模な金の流出が発生したことは認めた。その上で井上は、高橋とは異なり、その原因は外国銀行だけに帰するべきではないと述べた。日本の資本家たちも、ドル買いに走ったのである。


 井上は、大量の金を売ってドルを買った人たちが、今や金本位制からの離脱を説くというのは面白いではないか、と言って挑発した。もし日本が高金利政策を続け、金本位制を維持していれば、投機家たちは損失を被り、国民の生活は安定していたはずである。


 これに対して、高橋が昨年一二月に金本位制から離脱するという決定を下したことによって、投機的なドル買いの決済を行うために、さらなる金の流出が発生してしまった、というのである。換言すれば、金の流出の責めは、井上ではなく高橋に帰すべきである。


 高橋と投機家たち‐愛国心に掛けた一握りの資本家と銀行家たち‐が勝者となり、日本が敗者となった。


 そして井上は、次のような不吉な警告で演説を締めくくった。「金再禁止をされた後の財政政策はまだ発表されておらぬけれども、説明の略々態度から言われると非常な通貨膨張を来たすであろう。こういうことは当然考えられるのであります。その点については私のみならず国民全体の憂慮しているところであります。」


 おそらく、国民全体は憂慮していたであろうが、貴族院はそうではなかった。井上が指摘したように、高橋の構造は議会の場を離れて動き出しつつあった。高橋は、井上の演説をほとんど聞いていない素振りで、政友会の森恪と内緒話をしていた。議場の雰囲気は井上に対して冷淡で、井上の言葉は他の議員の心にはほとんど響かなかった。


 高橋蔵相が再び演壇に上がった。・・・高橋は、井上の挙げた論点に逐一答えることはできないとして、金本位制と国民の生活水準の関係という一点に焦点をあてると述べた。・・・自分の考えでは、井上が金本位制に復帰した時期が悪かった。当時の状況では、日本は金本位制に復帰してやっていけるだけの経済力が備わっていなかった。金本位制を維持し、投機を防止するために井上がとった金融財政政策は、生産的な企業やそこで働いている人々に打撃を与えた。


 高橋は「ただこのドル買いをやった者が憎いと言って、それを征伐するために金利を高めるということは、怪しからぬことだと私は考える。・・・農業者、漁業者、山林に稼ぐところの人々はどうであるか、これらは朝に出て晩に帰って、僅かな利があって質素な暮らしをしていれば、それで満足している人たちである。為替はどうだというようなことは考えない。・・・」と述べた。


 そして高橋はこう結論づけた。「今日は各国ともこれは海外の物資を仕入れることをなるべく防いで、おのれの国の産業を発達させようという策・・・国策を皆執っている。・・・おのれの国の生産の、生産力を充実することをもって国是となし、第一となす、わが国もそうではければならぬ」高橋は、割れんばかりの拍手のなかを席に戻った。


 高橋は演説の中で赤字国債発行による財政支出を通じた景気刺激策に言及することはなかったが、井上はこれに言及した。高橋は、大規模な財政支出拡大が一気に行われることを危惧していた。井上は、二月九日に選挙に向けた遊説先で右翼主義者に暗殺されてしまったので、その年の夏の終わりに高橋が開始した赤字国債発行による財政拡大を見届けることはなかった。


 一九三二年二月に井上、三月に三井財閥の総帥・団琢磨、五月に犬養首相が暗殺された。高橋が一九三二年二六日に六度目の蔵相に就任したのは、こうした環境下のことであった。


 五・一五事件の二日後、皇統派の荒木貞夫陸軍大臣は、次期首相を天皇に奏上する責任を担っていた西園寺公望侯爵に対して、陸軍はもはや政党内閣を認めないと告げた。・・・十日後、西園寺は退役海軍大将の斎藤実を選んだ。・・・高橋は、今年度中に五億円の国債を発行することを提案した。



 彼が行った財政支出の多くの部分は軍事費に振り向けられた‐軍事費の予算全体に占める割合は、一九三一年には二七%であったが、一九三六(昭和一一)年には四六%へと大幅に拡大した。・・・高橋は、積極的な意味でも消極的な意味でも軍国主義や陸軍のアジア侵略を支持したことはなかった。


 しかしながら、満州の征服は彼が編成した予算によってはじめて可能となったのであり、その意味では軍国主義と全面戦争の第一歩であった。


 一九三二年から三三年にかけて、自分たちの意のままにできる帝国(高橋の言葉では満州の経営は「線香花火」)の要として陸軍指導者が建設を進めていた満州国にどのような通貨制度を導入するかという議論が持ち上がっていた。


 陸軍では、日本の円を通過として使用する構造を持っていたが、高橋は、満州は日本の一部ではなく、中国の一部としての長い歴史を有しているとして、陸軍の構想に反対した。


 高橋は代案として、中国の通貨制度にリンクした銀本位制度の導入を提唱した。高橋の考え方は、彼が暗殺されるわずか数か月前の一九三五年九月に政府が満州の通貨を円と等価とするまで、採用されていた。


 このときにも高橋は、陸軍の満州への資本輸出計画について、これが他国とりわけ技術先進国との貿易のために必要な正貨を吸い取ってしまうのではないかとの懸念を表明した。


 そこで高橋は、満州での投資を制限することを内閣に提言した。


 一九三五年七月には、関東軍が南満州鉄道に、傀儡国家満州の外側に位置する中国北部で大規模な会社を設立する計画が持ち上がったが、高橋は政府指導者のなかでただ一人これに反対した。


 さらに特筆すべきこととして、常に冷静な現実主義者であった高橋は、技術や航空燃料のような高級天然資源について、軍部自身が米英に依存していることについて、当の陸軍首脳よりも明確な認識を持っていた。


 一九三五年暮れの雰囲気を考えると、一九三六年度予算で高橋が軍事支出を自らの管理下に置くことができる見通しは暗澹たるものであった。しかしながら高橋は、軍部からの激しい抵抗に遭いながらも、陸海軍の予算を抑制し、さらには削減しようとして、最後の力をふりしぼっていた。


 罵り合いの論争は、一九三五年一一月二九日の夜から三〇日の未明にかけて行われた徹夜の閣議で頂点に達した。この予算編成の最後の数週間に関する「東京朝日新聞」の報道を読むと、高橋がほとんど自殺的とも思える決意をもって軍事支出を統制しようとしていたこと、軍部がこれに激しく抵抗していたこと、そして岡田が曖昧な態度を取っていたことが伝わってくる。


 高橋は、一九三六年度予算から赤字国債の発行額の削減を始めることを心に決めていたので、他省予算からの繰り替えによって賄うことができない限り、軍事支出の増額をすべて拒否した。


 (一九三六年)二月二〇日の総選挙では、高橋に対する多くの信任票が集まった。軍部と右翼が「愛国的」な候補者を当選させようとし、また、高橋が以前属していた政友会が軍事支出の削減に反対していたにもかかわらず、財政赤字を削減しようとする高橋を支持していた民政党が多くの議席を獲得したのである。


こうしてみると、選挙結果とそのわずか六日後暗殺事件との間には何らかの関係があると結論づけざるをえない。


以上抜粋。



 世界支配層&その奴隷の親分たる日本の最高支配層に、忠義を尽くしてきた井上準之助と高橋是清は、真の愛国心を発動したときに姦徒誅鋤されたのですね。



では鬼塚英昭と中田安彦の共謀プロパガンダの続きを見て行きましょう。




副島隆彦の学問道場より
「1399」鬼塚英昭(おにづかひであき)氏の『日本の本当の黒幕』(下)を読む。戦前の日本政治の闇を象徴する田中光顕(たなかみつあき)という怪物を知る。それは現在の日本政治を支配するヤクザたちを知ることでもある。2013年9月1日 副島隆彦を囲む会の中田安彦(アルルの男・ヒロシ)です。今日は2013年9月1日です。






前置きからしてトンデモないですね。
田中光顕はたんなるポチでヤクザも同様です。




(中田安彦続き)
 以下に、鬼塚英昭という人の『日本の本当の黒幕』という本の感想を書く

(中略)

 世界大恐慌が始まる前後から、日本の政治に軍閥というものが入り込んできた。これは軍隊における権力闘争の派閥であるが、同時に、それ以外にもそれぞれのシンパというものがいたということで、テロによって政治を変えようとする動きが本格化していって、その黒幕にいたのが、宮中を追い出されて、一時西園寺との権力闘争に敗れた田中光顕だったということである。そして、田中光顕は三菱マネーで動いていたという。






軍閥はプロパガンダ用語です。中核にいるのは日本人ではありません。鬼塚英昭がさんざん小物扱いしてバカにしていた大川周明の方が軍閥より権力を持っています。牧野伸顕とはツーカーの仲で、河本大作をアゴで使い、小磯国昭を恐喝し、密かに刑務所から脱出して226のスーパーバイザーを務め、東京裁判では奇声を発しながら東条の頭を叩いて刑を免れています。
この大川周明と呼応するポチ集団がバーガミニの云う『天皇の秘密閥』、バーデンバーデンで世界支配層に選抜された11名のポチたちです。満州事変(ヤラセ)の主役の一人でありながら戦犯候補にすらならなかった石原莞爾、彼は重症のバカルト信者で世界最終戦争論はバカルト信仰の賜物です。石原莞爾と面識のあるジャーナリストの回顧によると、秀才を鼻にかけた高慢で奇矯な未熟者だそうですが、未熟者は本当にしても、秀才であったかどうかは分かりません。ぶんウソです。バカルトですから。福田和也が広めた「天才的な作戦参謀」は、満州事変の真相を糊塗するためのプロパガンダでしょう。満州事変は最初から阿片専売を視野に入れて企図されたものです。





(中田安彦続き)
 そこで私はわからなくなったのだが、三菱といえば、もともと三菱の岩崎一族の加藤高明やその外相の幣原喜重郎のような「対英米協調派」ではなかったのか。なぜそのような三菱が田中光顕を放っておいたのか。鬼塚氏はこのへんの日本の権力闘争と大きな世界権力構造のつながりについてあまり説明しない。というより、鬼塚氏は太田龍門下だから、ここはロスチャイルド黒幕説なのだ。


 

鬼塚英昭は太田竜門下ではありません。鬼塚英昭は副島隆彦&中田安彦と同じ陣営に属しています。鬼塚英昭、副島隆彦、中田安彦は太田竜と違って正義感のカケラもありません。なお、副島隆彦のコメントを書いているのは中田安彦です。太田龍については死人に口なしのガセネタを平然と書いています。

加藤高明は尾張徳川(満州王族)の相談人としての役目を遂行しているのであって、三菱財閥の代弁者ではありません。むしろ三菱財閥を操作するために女婿として送り込まれてきたのが加藤高明という風に真逆に見做すべきでしょう。>

『対英米協調派』とは一体何を指すのでしょうか?『対英米協調派』も『対英米強硬派』も、金の動きから見れば同じ穴のムジナです。





(中田安彦続き)
しかし、私はそれは一面的な見方であり、ロックフェラーとロスチャイルドの大財閥の闘いがあったと思う。アメリカにおいても、1921年の外交問題評議会設立後しばらくするとロックフェラーの影響力が強くなっていくということを私は『世界を動かす人脈』などの自著で立証したから、鬼塚氏のロスチャイルド史観にはかなり違和感がある。しかし、そのことは国内勢力論だけを主に論じたこの『日本の本当の黒幕』を読んでいく際にはあまり支障にならななかった。



 

「ロスチャイルドとロックフェラーとの抗争」を主張しながら相も変らぬ『軍部』『右翼』の通弊を騙るあたり、『ジャパンハンドラーズと国際金融』の自己撞着ここに極まれりというところです。要するに中田安彦がやっているのはプロパガンダの継ぎ接ぎなのです。





(中田安彦続き)
現段階における私のこの問題に対する回答は以下のようになる。
 

 三菱―ロックフェラーという関係はたしかに戦前においてもあっただろう。しかし、アメリカのロックフェラー財閥といえども、日本に満州利権を独占させるつもりはなかったに違いない。もともとアメリカが、太平洋進出したのは最終的には中国市場の門戸開放を果たさせるためだった。


 

これも全文プロパガンダです。満州利権に関してはロックフェラーなど影も形も見えません。中国市場の門戸開放というのも右に同じです。中国市場の門戸開放も何もとっくに好き放題にされています。アメリカも麻薬貿易で稼いでいます。その中核にいるのは満州王族です。






(中田安彦続き)
ところが、日本が行った大陸外交はアメリカの権益を脅かすものだった。古くは、ハリマン財閥との満州鉄道日米共同経営の話を、小村寿太郎外相が蹴ったという事実がある。日露戦争の終戦の仲介をアメリカのセオドア・ルーズベルトが行ったのも、日本を入り口に満州地方の権益を獲得し、当時の覇権国であったイギリスに対抗する狙いがあったのだと思う。ハリマンの共同経営提案を日本が蹴った後も、1909年には米国務長官が「満州鉄道中立提案」というのを行っている。




 

「当時の覇権国であったイギリス」=SNSIのウリ「20世紀はイギリスからアメリカに覇権が移行した世紀」に類するプロパガンダ。副島隆彦の『世界覇権国アメリカ・・・』も中田安彦の『世界を動かす人脈』も以下同文。小物ポチを列挙したカタログに終始しています。小村寿太郎然り。セオドア・ルーズベルト然り。これもポチを主語にしたプロパガンダです。




(中田安彦続き)
この時点で、日本の大陸政策と門戸開放主義を中心にするアメリカ極東政策が対立を始めており、日本が関東軍による1931年の満州事変のより、満州国建国を目指すようになり、日本政府のコントロールが効かない状態になっていった。翌年には第一次上海事変が起きて、これも英米を含む列強の権益を脅かした。満州事変に関するイギリスのロスチャイルド系のリットン卿による報告書は、日本に融和的なものであったが、日本はこれを受け入れなかった。その後、日本は1933年に国際連盟を脱退して孤立化を始める。




 

創意・思考がまったくありません。どこかで見たようなプロパガンダばかりです。副島隆彦の『世界覇権国アメリカ』はカタログの継ぎ接ぎみたいなシロモノですが、おそらく中田安彦も学習書からダイジェストしたのでしょう。





(中田安彦続き)
更に、1937年には盧溝橋事件と第二次上海事変が起きており、その後、パネー号事件というものが起きている。この事件は、日本の海軍機が揚子江を航行していた米国アジア艦隊揚子江警備船「パネー号」を攻撃、沈没させ、乗務員に対し機銃掃射を行った事件であった。重要なのは、パネー号に先導案内されていたのが、米国スタンダード・バキューム・オイル社の商船4隻と、ジャーディン・マセソン社の倉庫船と汽船黄浦号だったというところだろう。アメリカとイギリスの権益を日本海軍は大陸侵攻の過程で攻撃したということになる。



 

いかにも海軍の意向のように書いていますが、これはSNSIの海軍悪玉説プロパガンダの延長です。実行犯が海軍であろうと陸軍であろうと主語ではあり得ません。ちなみにバーガミニによるとバネー号を撃沈させるよう指示されのは陸軍少佐の橋本欣五郎ということになっています。これはバーガミニの本をペラペラめくれば橋本欣五郎の冠詞として出てきます。



橋欣こと橋本欣五郎は徳川宗家(満州王族)お気に入りのポチ
  
和天皇の写真に放尿した桜会の顔役 3月事件・10月事件の狂言回し





(中田安彦続き)
いくら三菱系の加藤高明や幣原が融和外交を目指しても、軍縮問題で高まるナショナリズムや、三菱自身が満州事変から第二次世界大戦にかけて軍需の膨張拡大を背景に事業を飛躍的に拡大させていったこともあり、もはや大恐慌時の世界では対米協調よりもいかにして生存圏を満州や華北から華中に見出すかという事が重要になっており、それは中国大陸における英米の権益を踏みにじる事で実行されたのだろう。







田中光顕を黒幕にする一方では三菱財閥を親玉に仕立てる、これが鬼塚英昭と中田安彦の共謀プロパガンダの主眼です。満州事変はドル買いと麻薬専売を企図して起こされたヤラセ、ドル買いと麻薬密売の主役は三井(満州王族)です。
中国大陸の米英の権益もプロパガンダです。明治維新が満州王族の自作自演だったように、辛亥革命も満州王族の自作自演です。中国、日本、アメリカ、イギリスは満州王族に仕える東西ポチ10カ国の四天王です。







(中田安彦続き)
そのようなナショナリズムの原動力になっていったのが、頭山満や内田良平であり、宗教的には田中智学や大本教の勢力だったと見ることが出来、それが昭和維新の正体だろう。その黒幕が田中光顕だと見ることができる。





 いやーもうトンデモねえ。







(中田安彦続き)
言ってみれば、「タリバン化する日本」という意味であり、アメリカはそれをコントロール出来ないとなれば、すぐに切り捨てるはずである。国内では三井の要人を暗殺することで、間接的にロスチャイルドの代理人を次々と抹殺していった田中光顕のグループは三菱系であった。三菱には表と裏の顔があるのかもしれない。





 

鬼塚英昭が再々引用しているバーガミニによると、田中光顕は命令系統の下部にいる小物に過ぎません。牧野伸顕、大川周明、東久邇宮に使われているスパイ網の親分格、老蜘蛛です。三菱には表と裏の顔がある・・・当たり前じゃ。




(中田安彦続き)
表の顔は加藤高明(岩崎弥太郎の長女と結婚)に代表される「対米協調」の三菱。裏の顔は田中光顕の率いる裏社会の三菱だ。鬼塚氏には、アメリカを支配してきたのがロックフェラーでイギリスを支配してきたのがロスチャイルドだという視点がないので、このあたりをすごく曖昧にしているという欠点がある。鬼塚氏にしてみると、みんなロスチャイルドなのだ。やはり、それは違うと思う。



 

だから加藤高明の裏の顔は尾張徳川の『相談人』なんです。

デーヴィッド・ロックフェラーが『死ぬまでこの男が世界皇帝』というのは副島隆彦と中田安彦の共謀プロパガンダの目玉ですが、デーヴィッド・ロックフェラーは世界支配層メンバーですらありません。高橋是清は娘の和歌子をクーン・ローヴ商会のジェイコブ・シフが1906年来日した折に、人質として取られてニューヨークに連れ去られていますが、世界支配層は悪役を平等に割り振るためでしょうか、1907年3月の日本の外積発行においてはロスチャイルドに主導権を掌握させています。ロンドンとパリの両ロスチャイルド卿が、ヨーロッパに出向いた高橋是清と起債の利率を交渉、日本政府にとって不利な利率を承諾させています。ちなみに日銀総裁の深井英五は、高橋是清の動向を逐一ポール・ウオーバーグに報告しているスパイです。




満州事変によるドル買い=311による市場操作
真実を記憶しない者たちは同じことをくり返す。




日銀が震災直後から銀行に資金供給した102兆6千億円はどこに消えたのか?
http://blog.goo.ne.jp/yampr7/e/546f321947265879a20fa4684ddf138d





確かに坂の上の満州王族は日本を1930年代と同じ状態にしようとしています。
15年戦争に突入していった満州事変前夜のあの頃と同じように、
マスメデイアやインターネットの世界で統一のバカルト幹部が跳梁跋扈しています。
中田安彦はその代表格の一人ですね。
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