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カルト言論犯罪集団7  続々々 鬼塚英昭と中田安彦による共謀プロパガンダ

ところで『れんだいこ』とかいうブロガーが、ペリマリの三島事件検証の記事について何やら書いていますね。れんだいこが言うには独力で三島事件の核心についてペリマリと同じ結論に達したとか。そうですか、そうですか。でもあれって間違いですから。


れんだいこ曰く、「三島は生き急ぎ死に急いだ」。


私はまったく逆だと思いますよ。三島の本音はメモに書いた通り、「限りある生ならいつまでも生きたい」であって、100%自決する覚悟を持ったことは一度もないと思います。野坂昭如の指摘した通り『生きる天才』だった。たとえそれが異形であろうと『ジャーナリズムのスポイルド・チャイルド』(三島自身の弁)としての人生を享受していたかったと思います。


ノーベル賞を逸した失意から国防に足を突っ込んでみたものの、「これで俺の自衛隊に対する夢は消えた」後、『楯の会』を解散して本来のスタンスに戻ろうとしていたと思います。銀座の高級レストランでデイナーを共にした知人(た学習院時代に付き合いのあった特権階級)に、今後の抱負を語っています。「身養生して定家を書く」―実際に書くのは平岡公威ではありませんが―本来の三島由紀夫に戻る。それが偽らざる本音だったと思います。


鬼塚英昭は著書の中で佐野眞一や広瀬隆などポチ仲間を取り上げることを義務付けられてるようですが、ブロガーの中ではこのれんだいこを取り上げています。鬼塚英昭はインターネットの操作ができないので、ネットの記事はプリントアウトしてもらっているそうです。で、その渡された資料の中にあって心を同じにする存在がれんだいこなんだそうです。そうですか。


では前回に引き続き、中田安彦による鬼塚英昭『日本の本当の黒幕』の書評を見て行きましょう。






(中田安彦の書評続き)
歴史にもしがあるならば、日露戦争直後の1905年に日本がハリマン(この当時のハリマンは、戦後暗躍したアベレル・ハリマンと違い、ロックフェラー系ではない)の満鉄共同経営を受け入れて大陸の権益を、イギリスやアメリカと分け合ったらどうなっていたかと考えたい。なぜ日本はドイツと急接近してアメリカのロックフェラー財閥が育てたヒットラーと同盟を結ぶことになったのか。


 私は、満洲事変後もリットン調査団が日本に融和的な報告書を出したというところに、私は中国大陸におけるイギリスとアメリカという新旧の覇権国の勢力争いというもう一つの構図があったのだと見ている。ところが、日本の右翼は、イギリスもアメリカもともに受け入れないで、権益を独占しようとした。
 


 だから、当然のようにイギリスもアメリカも日本を本当に敵国としていくようになったのだろう。日本のナショナリストが軍閥化して手に負えなくなれば、三井系も三菱系も関係なく、取り潰すという判断になったのだろう。それはアルカイダを育てて、要らなくなったら、戦場に送り込んで潰すという、アメリカの発想と似ている。





SNSIの二大看板
①ポスト英米時代(20世紀は英国から米国に覇権が移動した世紀であるという幻想に基いて国家戦略を展望するプロパガンダ)
②デーヴィッド・ロックフェラー世界皇帝説(かつて一世を風靡した『ロックフェラー帝国の陰謀』というプロパガンダ本の流れを汲む)。
要するに世界は英米で動いているという陳腐なプロパガンダです。


「この当時のハリマンは、戦後暗躍したアベレル・ハリマンと違い、ロックフェラー系ではない」はプロパガンダとしても間違っています。アヴェレル・ハリマンは父親エドワード(ウオーバーグ家の資金を保有するクーン・ローヴ商会、ロスチャイルド傘下にあるナショナル・シテイバンクから資金提供を受けて鉄道会社を買収する企業を起こす)と同じく「ロックフェラー系」には属していません。またアヴェレル・ハリマンが活躍したのは戦後ではなく戦前からです。戦前・戦中の方がはるかに重要な役どころを割り振られています。アヴェレル・ハリマンはロックフェラー系に属するのではなく、ロックフェラー系に命令を下す立場にあります。


「アメリカのロックフェラー財閥がヒットラーを育てた」というのは、大変お粗末なプロパガンダです。ナチスドイツに政権を執らせたのは、大日本帝国を膨張国家に仕立て、フランクリン・ルーズヴェルトとウインストン・チャーチルに政権を執らせ、八百長戦争を引き起こさせ、ソ連を大国に仕立てた連中、国際連盟(絶えざる国際紛争を生み出す暴力組織)を作り、「シリア問題はまもなく今世紀最悪の形で解決されるだろう」とアンジェリーナ・ジョリーに予告させている連中です。


「歴史にもしがあるならば、日露戦争直後の1905年に日本がハリマンの満鉄共同経営を受け入れて大陸の権益を、イギリスやアメリカと分け合ったらどうなっていたかと考えたい。」という中田安彦の提案は、例の言い古されたネタ「もし日本がハリマンの要望を受け入れていれば太平洋戦争は起こらなかっただろう」という手垢のついたプロパガンダの二番煎じですね。満鉄利権の真の目的については回を追って後述しますが、ジャパンハンドラー、カウンターパーツ、グローバルエリートを唱えながら、国家単位でモノを考える旧態依然の通弊から一歩も出ていないばかりか、支離滅裂で整合性がありません。第一にこの鬼塚英昭『日本の本当の黒幕』の書評にしてからに最初から論理破綻しています。冒頭、中田安彦は本書の上巻を精読しない理由について、知り合いから鬼塚の本を勧められて下巻を渡された、それでまず下巻から読み上巻は熟読せずに下巻の参照程度に留めた、それで結果オーライであった由を縷々述べていますが、これは要するに『明治維新』に言及しないための小細工でしょう。



両者の該当箇所を比較参照してみましょう。




中田安彦『日本再占領』より以下抜粋

日本の歴史に連綿として影を落とす「律令制度」

明治以前にも日本には、官僚主導の政治システムがあった。それが律令国家体制である。この体制は、官僚主導が明治になって憲法体制によって明文化されたことでさらに強化される。


大日本帝国憲法は、官僚主導体制を明確に決定づけた憲法だった。


天皇を支えるとの大義名分のもとで、専門分野の知識を持つ官僚たちが跋扈する口実ができた。これも明治より前から存在した、日本古来の「権威と権力の分離」という律令制度の考え方である。

そして、大正期を経て、日本が戦争へと突き進んでいく直前になると、政党政治(議会政治)は弱体化・形骸化が進み、短命内閣が続くようになる。内閣が次々と変わると議会の力が弱まるので必然的に「超然主義」が強化される。この現象を、作家の堺屋太一は「鉢植え内閣」と呼んでいる。


この「鉢植え内閣」では必然的に国の借金が急増する。なぜなら、「閣僚たちが各省官僚の資料と説明を丸のみするから」(堺屋太一)からである。巨額の借金を官僚主導政治はつくり出し、体制が維持不可能になって、戦争という究極の国家破産政策ですべてを焼き尽くした。これが日本が推し進めた戦争の正体だろう。






統帥権については一言も触れずに立法権亡国論、鉢植え内閣開戦論を展開しています。中田安彦が鬼塚英昭の書評で述べている軍閥元凶論との整合性はどうなっているんでしょうか。それともこういうトンデモを捻り出しては、学問道場の会員の頭の中を思考停止しておくことがお仕事ですか。






(中田続き)
律令制度が画策した陰謀は今年で1310年目



霞が関の官僚について、オランダ在住のジャーナリスト、カレル・ヴァン・ウオルフレンが、同様に「天皇の官吏」論を展開しているのは注目に値する、また、ウオルフレンは、1993年の「日本改造計画」が発表された当時から小沢一郎を一貫して高く評価してきた人物である。ウオルフレンは、小沢一郎に対する一連の検察の捜査が始まっ後に、日本の言監視や著書の中で小沢一郎の立場を解説し、小沢を阻むアメリカと日本の官僚をペンの力で批判した。



ウオルフレンによれば、本来、検察は、同じように伝統を誇る他の官僚にもまして、「天皇の忠臣」の手本のような存在であった。そのような役割に付随する権力も実体的に与えられていた。検察がこのような権力を掌握したのは1920年代にさかのぼるという。司法制度全体を支配するに至った検察の下で、日本の裁判官はまるで附贓物、検察の使用人のあつかいを受けるようになった。







バーガミニによると、満州事変から太平洋戦争に至る15年戦争を画策したのは、所謂『天皇の秘密閥』バーデンバーデンの盟友11名が中核となっている11会です。そうですね、例えば226事件の小川裁判官を想起してみてください。彼が忠誠を誓っていたのは尾張徳川家です。尾張徳川家の実体は満州王族です。で小川裁判官は「100年後に公表するための226裁判資料」なるものを勝手に持ち出し、それを徳川黎明会が保管している、ということになっています。官吏、検察、裁判官といった表の身分・序列には何の意味もありませんね。

例の小沢冤罪事件というのも同じ穴のポチの共同演出による猿芝居でしょう。「民は知らしむべからず、寄らしむべし」の一環として、セレブの陽動作戦と同類の幻想を振りまいている。それが小沢冤罪事件の本質だと思います。







(中田続き)
ウオルフレンは1989年にも『日本権力構造の謎(エグニマ)』(早川書房)という大著で日本の社会構造を広範に分析している。しかし、先に引用した最近の小沢論では、官僚制度への批判とアメリカに対する批判に焦点を絞っている。ウオルフレンは同書の中で、小沢について、日本において百数十年の長きにわたり、「連綿と続けられてきた陰謀の犠牲者にほかならない」と言っているのが興味深い。



ここで、ウオルフレンはいわゆる「陰謀/共同謀議」というものについて独特の理解をしている。この考え方は、「ひとにぎりの人間が密かに一致協力して、仲間以外のだれも望まないような目的、すなわち陰謀を達成しようとしたものの、実際にそれを煽動した人間は特定できない、という状況を検証するときに役に立つ」という。








ウオルフレンの「陰謀論/共同謀議」は、バーガミニの『天皇の秘密閥』の解説文としてピッタリです。『天皇の秘密閥』は世界支配層の指令で動かされていますが、「実際にそれを煽動した人間は特定できない」ようにしてあります。陰謀論者を生産しているのもまた世界支配層だからです。陰謀論を否定する中田安彦自身が同じ穴の陰謀論者ではないですか。横文字で粉飾しているところがミソで、要は空虚な言葉遊びに終始する陰謀論者に過ぎません。


目糞が鼻糞を分類するの図

http://www.youtube.com/watch?v=pPX2Dlb_LlU





(中田続き)
ウオルフレンはその陰謀の共同謀議に参加していた一人として、明治の元老、山縣有朋の名前を挙げている。しかし、私がこれまで見てきたように、それではあまりに時代が新しすぎるのである。日本を骨絡みに縛りつけているこの官僚制度=律令制度の誕生は、明治維新ではなく、大化の改新の時なのである。それを裏付けるように、山縣は若いころに次のような文章を長州藩主に提出している。「中大兄皇子は中臣鎌足と謀議し、入鹿暗殺を決行されました。この故智にならい、奸賊・一橋(徳川慶喜)を殺戮し、朝廷の鴻基を立てようではありませんか」(『日本を不幸にした藤原一族の正体』関裕二、PHP文庫)







これに類するコジツケを鬼塚英昭もやっています。






鬼塚英昭『日本の本当の黒幕』下巻p250~251より抜粋
昭和九年五月三日の『原田日記』に、西園寺公望が田中光顕の”恐ろしさ”について語る場面がある。・・・「宮内大臣当時の田中光顕の問題がかれこれ喧しいだろうと言って懸念する向きもあるけれども、そんなことを言ったら、日本の社会は田中によって支配されていると言われても已むを得まい。しかも田中の言うことたるや、皇室の私事にわたることをぶちまけているのであった、元来不敬極まる事柄である。ああいうような正しからざる者の勢力を阻止することもできない状態は、実に悲しむべきものがある」文中、「日本の社会は田中によって支配されている」に注目してほしい。






「日本の社会は田中によって支配されていると言われても已むを得まい」というのと、「日本の社会は田中によって支配されている」というのとでは、全然意味が違います。西園寺公望は皇室の私事を吹聴する田中光顕の始末に負えなさ加減を愚痴っているだけなのに、それを鬼塚は「田中光顕が日本の本当の黒幕」という意味にコジツケています。『西園寺公と政局』こと原田熊雄日記は、西園寺公望をスパイする役目を仰せつかった原熊による記載ですから、この場合も西園寺公望がそんなことを言ったかどうかは保障の限りではありません。西園寺公望は最後の元老の一人として戦い続けた結果、第二次大戦開戦前夜に暗殺されていますから。







(中田続き)
つまり、陰謀の画策者とウオルフレンが指摘する山縣本人が、中臣鎌足(不比等の父)にその陰謀の源流をみているのである。明治維新が1868年、大化の改新が645年である。実に1223年前の出来事だ。だから、これで民主党への政権交代がわずか1年で大混乱に陥っている理由がわかっただろう。律令官僚はわずか10数年の歴史しか無い民主党よりも、1167年続いている律令制度の護持を図ろうとするのである。







いや~~もうトンデモねー。
中田安彦の律令史観から感じることは、このオランダ渡りのオッサンと同じ程度に彼もまた外国人であるということで、中田安彦はこのウオルフレンのプロパガンダから日本史を俯瞰する手法を学習したんですね。その実体は覗きとパクリです。鬼塚英昭もウオルフレンの戯言を引用して持ち上げています。ポチの特徴はいつも芋づる式にツルンデいることです。では鬼塚のオッサン行きます。








鬼塚英昭『日本の本当の黒幕』上巻より以下抜粋


私は数多くのデータを蒐集した。大室寅之祐は山口県熊毛郡田布施という朝鮮系の部落民である。そして、近くの部落民の伊藤博文が、奇兵隊の力士隊を組織したときに参加した一兵卒であった。この奇兵隊に土佐脱藩の志士の土方久元と田中光顕がいた。明治時代になって、宮内大臣を伊藤博文、そして土方久元、それから田中光顕が勤めるのは、明治天皇こと大室寅之祐の自由を奪い、人形のように操るためであった。




英国外交官アーネスト・サトウは『一外交官の見た明治維新』の中で次のように書いている。




「私は、プリンセス・ロイヤル号の甲板で日本の貿易商人数名に会ったが・・・彼らは、天皇(孝明)の崩御を知らせてくれ、それは、たった今公表されたばかりだと言った。噂によれば、天皇は天然痘にかかって死んだということだが、数年後に、その間の消息に通じている一日本人が私に確言したところによると、毒殺されたのだという。この天皇は、外国人に対していかなる譲歩をなすことにも、断固として反対してきた。そのために、きたるべき幕府の崩壊によって、否が応でも朝廷が西欧諸国との関係に当面しなければならなくなるのを予見した一部の人々に殺されたというのだ。この保守的な天皇をもってしては、戦争をもたらす紛議以来の何ものも、おそらく期待できなかったであろう。重要な人物の死因を毒殺に求めるのは、東洋諸国ではごくありふれたことである。・・・」




私はこの文章を読んだとき、サトウは間違いなく、孝明天皇殺しに参加した重要メンバー、否、指揮した人物にちがいないと思った。公家と天皇家の間にあっては暗殺もまれには存在した。しかし、大室寅之祐を天皇にしようという発想そのものは生まれてこないと思っていた。「きたるべき幕府の崩壊」を確実にするために、サトウが長州の伊藤博文に働きかけた可能性がある。




徳川正史では徳川斉昭(満州王族)、松平春嶽(満州王族)、徳川慶勝(日本人)が明治維新の三大功労者ということになっていますが、徳川慶勝は日本人ですからここから除外してください。差別された人々を道具に使うのは満州王族独特の発想です。この手法でユダヤ国際金融勢力がステルス兵器として使われ続けてきた結果、ユダヤサタニスト、タルムード等の陰謀論が氾濫しているのですが、氾濫させているのもまた満州王族なのです。



(鬼塚続き)
私たちは、孝明天皇暗殺と睦仁親王暗殺を別々に考えている。しかし、この二つの暗殺は薩長土の秘密同盟から生まれたものであった。土方久元、中岡慎太郎、田中光顕はこの秘密メンバーであった。この男たちに、日本の未来を憂える志があったとはとても思えない。ただひたすら栄達を願い、甘い生活に憧れていただけであった。



これは資料をもらってプロパガンダを書いている鬼塚英昭自身のことでもありますね。





(鬼塚続き)
ここで私事を少しだけ書くことにする。『「フルベッキ群像写真」と明治天皇”すり替え”説のトリック』(二〇一二年)の中で、この本の著者斎藤充功は私の著書『日本のいちばん醜い日』に興味を持ったからと、私を訪ねて別府にきた。(注 文章のつながりが変です)二〇〇七年十一月であったと記憶する。私は大室寅之祐のことを話し、彼に田布施行きをすすめた。






斎藤藤充功の前掲書は稀に見るトンデモ本です。明治天皇すり替え説を否定するためとはいえ写真と細密画を比較鑑定させています。それではあんまりだと思ったのでしょうか、写真と写真の比較鑑定も行わせています。






上 明治天皇とされる写真
下 明治天皇の細密画




写真と細密画の細部の比較
 
 



鑑定結果
「同一人物と考えて差支えないと判断するのが妥当であろう」



左 明治天皇とされる写真
右 フルベッキ群像写真の大室寅之助
両者の細部を比較鑑定する
 


鑑定結果
「別人であると考えるのが妥当であろう」





左 明治天皇の細密画
右 フルベッキ群像写真の大室寅之祐
両者の細部を比較鑑定する




鑑定結果
「別人であると考えるのが妥当である」





このトンデモ鑑定を引き受けた(あるいは引き受けさせられた)のは、東京歯科大学法人類学研究室の橋本正次教授です。橋本教授による鑑定結果は「骨とは違い写真からの鑑定なので一〇〇%別人とは判定しがたい」と前置きした上での所見です。斎藤充功は「フルベッキ群像写真に写る青年は明治天皇とは別人であり、写真は明治天皇”すり替え”説の根拠とはなり得ないということが、これで明らかとなった。」と強引にコジツケています。


写真と細密画で鑑定すること自体がオカシイ。正気の沙汰ではありません。しかし、それ以前にもっとオカシイことがあります。明治天皇の写真とされるものが本人のものであるかどうか、その真偽を明らかにすることが問題の核心であって、フルベッキ集合写真と明治天皇の写真の差異を鑑定するのは核心を誤魔化すことでしかない、斎藤充功は最初からそれが目的でやっている、ということです。


訂正
私は当初、フルベッキ群像写真の青年と明治天皇に差異を認めないと書きましたがこれは間違っています。明治天皇は満州王族ですが集合写真の青年は日本人のようです。すみません。







(鬼塚英昭前掲書の続き)
明治維新とは何であったのか。この問題の追及なくして日本の現代史をいくら吟味しても意味がない。私は、部落民か部落民に近い人々の底辺からの革命だったという、私個人の説を持っている。



長州、薩摩、土佐の部落民か、部落民とごくごく近い、下層階級の草莽の志士たちによる革命劇が明治維新だというのが私の説である。



明治政府の時代になって最初の宮内大臣は伊藤博文、次いで土方久元、そして田中光顕と続いていくのは偶然ではない。彼ら三人はかつて、奇兵隊士の大室寅之祐の師であったからだ。明治天皇となった大室寅之祐の自由を束縛するための宮内大臣であった。



彼ら三人は、木戸孝允、山形有朋とともに明治”大帝”伝説を創造し、日本という国家を部落国家へと転落させたのである。この部落国家がいかにイギリスをはじめとする西洋諸国の奴隷国家となり下がったのか、それを簡単に記してこの章を終わることにする。



明治維新とは何であったのか?日本の精神が破壊されたことである。誰に、どうして破壊されたのか?それは、明治維新が日本人の美徳を汚してしまったからだ。強いて表現するなら、薩長の権力志向の強い志士たちが、強欲のために国家を盗んだからだ。



しかし、成功者たちは維新後、その出自を隠し、薩州藩士のエリートを遠ざけるのである。そして、部落ならびに部落にごく近い者たちによる、差別政治が始まる。だから、明治以降も部落の解放はなされなかった。



明治以降、無条件で西洋崇拝の嵐が日本国中に吹き荒れていった。そして、ついにと言うべきか、同じアジアの人々を馬鹿にするようになった。日清戦争も日露戦争もアジア軽視の中から勃発した。明治時代とは、心なき奢れる連中の時代だった。田中光顕を主人公に、明治という時代を描くことにしよう。




以上鬼塚英昭の前掲書より転載。







この鬼塚英昭の『明治維新』と、中田安彦の『大化の改新以来の天皇制下における官僚の弊害』は対極にあります。中田安彦としては「明治天皇がすり替わったかどうかはともかく」と断りを入れた上で、鬼塚英昭を推奨するしかないでしょう。しかしそれこそが鬼塚英昭が田中光顕を黒幕とする最大のネタなのです。中田安彦の『日本再占領』を購読させられたであろう学問道場の会員諸氏は、こういう詐術的な書評に何の疑問も持たないのですか。安全宣言の時と同じく思考停止したままですか。
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